キャリア・コンサルタント協同組合 風 巻 融
テクノロジーの全ては人類の生存の目的を達成するために産み出された。火をつけ操作する技術は、人類が獲得した最も古いテクノロジーと考えられている。約150万年前の文化層から発見されている。火は、その後、人々の光・照明へのニーズと、熱・エネルギーへのニーズに応えるテクノロジーに大きく分化しつつ、更なる多岐にわたるテクノロジーとして進化してきた。
ヒトは火をサバイバルニーズの核心である食物の調理に使い、暖を取り、獣から身を守るのに使い、生命の安全を獲得することにより個体数を増やしていった。火を使った調理は、ヒトがタンパク質や炭水化物を摂取するのを容易にした。火により寒い夜間も過ごせるようになり、あるいは寒冷地にも住めるようになり、ヒトを襲う獣から身を守れるようになった。ヒト属による単発的な火の使用の開始は、170万年から20万年前までの広い範囲で説が唱えられている。最初期は、火を起こすことができず、野火などを利用していたものと見られているが、日常的に広範囲にわたって使われるようになったことを示す、約12万5千年前の住居址遺跡から証拠が見つかっている。
また、当初は火を起こすのが難しかったため、火は集団生活で共用されるべきものとなり、それにより集団生活の必要性が増大したとされている。
火とともに起源の古いテクノロジーに道具の使用がある。約180万年とも150万年前ともいわれる地層から、大量の、最古といわれる石器・礫石器とほぼ完全な頭蓋骨とが同一文化層の出土品として現れている(オルドヴァイ石器)。形状から獲物の動物の皮を剥ぎ、肉を切断するものや、石斧として用いられたものとされている。興味深いことは、これらの石器を製造していたらしい痕跡がどこにもなく、礫石器を堅いハンマーやチョッピング・ツールで打撃を加えて剥片を得るやりかたで製作した証拠が現れるのはかなり時代が新しくなってからであるらしい。火に関しても同様で、火をつけたり、保存したり、利用するための道具の発明は、火の利用そのものより新しい。肝腎なことは、火の利用にせよ、肉剥ぎナイフの利用にせよ、それ等の操作方法・利用方法を実現する道具の、偶然の発見とともに始まったと見るべきことである。
テクノロジーの出現、形成を考えようとすると、どうしてもその発生のいきさつに興味が赴き、考古学、歴史学、人類学などのたすけが必要である。そこで発見したことは、現代においても頻繁に用いられているテクノロジーの大部分が、古代(文字以前)にプロトテクノロジーを産み出していることで、文明のパラダイムはその後から形成されてきたといえることである。考古学や古人類学が当然として扱っている時代区分と、これらの学問が取り上げるテクノロジーのレベルや進化過程がどうもしっくりと整合しないのである。私の勉強不足と考えが的外れということもあろうかとも思うが、これらのプロトテクノロジーが想像より遥かに高レベルの知識によって構成されていることに気づかされる。
現代の人間行動は次の4つの能力を含むとされる:
① 抽象思考・法則の理解と応用(具体的な例に依存しない概念)
② 計画(目標を達成するためのステップを考える)
③ 発想力(新たなアイデア、解決法を見つける)
④ 記号的な行動(儀式、祭礼、埋葬やシンボル・偶像を大切にする)
これらの能力は学習によって進化するとも考えられている。その場合、熟練や技能や方法の発明や直感などはどこへカテゴライズしたら良いのだろう。強いてあげれば、「法則の理解と応用」といえなくもないが、法則はつねに不動の抽象である。むしろ、新しい突破口的テクノロジーは、新しい法則の発見をうながすものだ。
いささか唐突に見えるが、「アートという語をアーティストの意図を実現するのに必要な、熟練、あるいは能力という意味につかうなら、洞窟壁画と、ラファエル、あるいはピカソの線描とのあいだには、なんのたいした差異もない。」(H.リード、《イコンとイデア》)と言って世界を驚かせた美術史研究家がいる。これはアートの技法は、原始の旧人(ホモサピエンス以前の人類)と現代の巨匠ピカソとのあいだに、進化を示す何の証拠もないといっているのである。この後、進化するのは美的意識、アートのコンテンツであるとして、その進化過程を詳しく論じたものであった。
しかし、ここでアート、アーティストを、テクノロジーとテクノロジストと置き換えたらどうなるだろう。テクノロジストの意図を実現するのに必要な設計能力、製造技術は格段の進化を果たしている。もちろん、そのテクノロジーのコンテンツも進化しているのである。にもかかわらず、アートとテクノロジーの比較は、テクノロジー開発、商品開発をインスパイアするマネージメントにとって、重要な視点を提供してくれるものと信じている。次号以降そのことに立ち入って行きたい。