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≪CCKビジネス/ものづくりお役立ち市場メールマガジン≫
 

≪ビジネス/ものづくりお役立ち市場 マガジン  vol. 003 ≫1


3.第3文明の出現とそのパラダイム

      2.1. テクノロジーのガラパゴス化について (8回)

キャリア・コンサルタント協同組合 風 巻  融

  以前、ドミナントデザインについてふれたことがある。これは、ガラパゴス化について論じる伏線でもあった。ガラパゴス化とはよく言われる通り、世界のドミナントデザインになれなかった日本発のハイテクノロジーをなぞらえて、揶揄したものである。日本市場独自のニーズを深追いして、孤島ガラパゴスにおいて進化の行き詰まりに達した古代種にの如くに、世界市場で孤立し、取り残されて行くさまは、その渦の中にいたものの一人として、なんとも腹立たしく、惨めな経験であった。

まさに、テクノロジー開発戦略と市場開発戦略の失敗であった。 ガラパゴス化については、2005年頃からいわれだし、纏まったものとしては、2007年のNRIが発表した「保護されないと絶滅する珍獣、ガラパゴス化する日本」がある。進化論においては、孤立した環境(日本やガラパゴス、オーストラリア、スリランカ、マダガスカルなど島が多い)でその環境への最適化や順応が著しく進行すると、エリア外との互換性を失った種が孤立して取り残されることをいう。

 

グローバルな競争環境において、より高い適応性(汎用性)と生存能力(低価格)の種(製品・技術)が存在すると最終的に淘汰される。  何がガラパゴス化としてとりあげられてきたか。自動車、携帯、パソコン?ICT、ステレオ、デジタルテレビ、ICタグ、カーナビ、GPS、電池、電気自動車?燃料電池?水素社会、送配電網、地球温暖化、宇宙、等々があげられて来た。 これ等の一つ一つを論ずるのは、テクノロジー論としては興味深いことではあるが、つぶさに観察すると、どうも一国内で孤立したためにグローバルな生存能力を失うという特定の種の問題ではなく、あらゆるテクノロジーがドミナントデザインを模索しているという、全方位のパラダイム転換の構図が見える。グランドデザインの問題だという人もいる。 私流にいえば、特定の何かではなく、第4文明のパラダイムへ向かって、あらゆるコアになるテクノロジーが自分自身の存在証明を賭けて、潮目が動き始めいることなのだと思う。 どこの国にも、ガラパゴス化の選択肢があり、すでに選択がなされてしまったものが多い。 21世紀型第4文明のパラダイムのなかで、もっとも懸念されるのが自動車のドミナントデザインを巡る競争である。ヨーロッパ、米国、日本、いずれ中国を加えて、これら各地域の乗用車、貨物自動車の分類は大きく異なる。ヨーロッパの分類は、市場要求の贅沢度を基準にクラス分けががされている。これらは道路のインフラ整備とも密接に関連し、まず、貨物輸送におけるコンテナのデファクトスタンダードと結びついて、陸上/海上ロジスティクスのシステム的成功をもたらした。市場ニーズにフォーカスしたとり組であったからである。乗用車における市場要求の贅沢度/実用性を基準にクラス分けすることも市場ニーズに焦点を合わせたやり方といえる。 ところが、わが国のクラス分けは自動車税の徴収利便性によって無理矢理つくられた規制によって、市場ニーズとの乖離があっても是正すらできない仕組みになっており、グローバルなニーズに対応するため、わざわざ輸出先モデルを別途開発して対応している。日本の軽自動車の基準では、エンジン容積は660ccまでとなっている。ヨーロッパのクラス分けは、800ccである。これでは、ヨーロッパに売れないだけでなく、軽自動車の有力市場である印度、中国、東南アジアでの苦戦は免れない。テクノロジーの面でいかに先行していても、自らガラパゴス化の道を選択していることになる。軽自動車を800ccにするだけで、成長戦略になる。 自動車を巡る市場の発展は、これからも第4文明のパラダイムを創り出す有力な牽引力と成りうるものであろう。

 

幾つもの強力なドミナントデザインが浮かび上がる。電気自動車?燃料電池?水素社会、地球温暖化ストップ、送配電網(スマートグリッド)、亜宇宙利用などを統合するグランドデザインに挑戦する国際的なコンソーシアムを立ち上げる必要がある。 中国のBIIAの提案には、新しいシルクロード建設の狙いがあると取り沙汰されている。中国製高速鉄道が走るのも、大変結構。もの・かね・人・知識が行き来すれば人類の富は必ず増大し、文明は発展する。日本は、全線地下の貨物専用超伝導輸送路のようなものを提案したらどうだろう。もっと実現性の高いものとして、全線自動運転可能の電気自動車専用フリーウェイ構想もよい。新しいシルクロード沿いに、水素社会の実現を伴い、第4文明のモデルパラダイムとなりうる。ただし、いずれも、腐敗と暴力の輸送は絶対ないようにするべきであろう。いずれにしても、一国の企業や政府がどんなに頑張っても難しい仕事である。トヨタ自動車が、電気自動車の特許を公開するというのは大変結構であるが、ドイツ勢、アメリカ勢と一緒に、電気自動車のデファクトスタンダードを開発するコンソーシアムを立ち上げるところまで行かないと、折角の特許公開も画龍天晴を欠くことになる。

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      2.2. ガラパゴス化が生まれて当然の空間 (9回)

 

キャリア・コンサルタント協同組合 風 巻  融

  従来型携帯電話機のことをガラケーと呼ぶらしい。ガラパゴスケイタイの合成語・省略短縮形である。テクノロジーにおけるガラパゴス化の状況は、いずれにしても、今後、克服してしまわないと日本の未来の道は拓けないという、深刻で、危機的な状況である。 通常、問題は解決したとしても正常性が回復されるだけで、進歩、進化には結びつかない(ドラッカー)。ガラパゴス化は、問題解決のアプローチでは克服できない状況であることに、まず、気が憑く必要がある。

 

 私は、二つの大きなパラダイムに着目したい。 第一は、テクノロジー進化のガラパゴス化は、日本に限られたこと、日本に限られたパラダイムではないことである。アメリカ生れのSUVなぞはその最たるものであろう。よくガラパゴス化に陥っているとして揚げられる事例は、パーソナルコンピュータ、携帯電話/スマートフォン/クラウドコンピューティング、デジタルテレビ、デジタルオーディオ、カーナビゲーションシステム、ICタグ、ゲームソフト、アニメーション、乗用自動車、コンテナ/貨物自動車/ロジスティクス、SUV、建設業、競技スポーツ、等々である。これ等の事例は、日本のテクノロジーが、進化論におけるガラパゴス諸島の生態系の奇異な進化とよく似ているというが、ガラパゴスシンドローム(Financial Times)とも呼ばれるごとく、競争市場において独立した市場への「取り込み」を画策した戦略は、どこの国においても、テクノロジーの進化に齟齬をきたし、最終的には淘汰される危機に見舞われる。この傾向は、競争市場・経済のグローバル化によって、競争が極端に激化しつつあることに由来する。 だから、ガラパゴス化だといって意気消沈していたのでは、なにも始まらない。 第二は、わが国におけるテクノロジー進化の戦略に、明らかな錯誤と自ら進んでガラパゴス化路線に嵌り込む風土・習性があることにある。これこそ日本文明の近代化のなかで生まれたパラダイムに深く根を張っていることである。 

 

 いいかえると、独善的な自己評価に陥りやすく、戦略の転換がおそろしく不器用なことである。そうなると第二機会を見いだし、再生、進化のシナリオを描くアイデア(例えばグローバルモデル)は、中々産み出せない。その原因については、次回にくわしく触れることにしたい。 では、競争市場・経済のグローバル化によって、競争が極端に激化するとなにが起こるのだろうか。極端化によって現れるのは、競争相手の殲滅に執着することにある。  敵を殲滅し、絶滅させる戦略は、第2文明のパラダイムが形成され、各地の統治機構が整備される中で生まれた第2文明のパラダイムの最も特長的な傾向である。第1文明のパラダイムでは、人類の人口も十分ではなかったので、奴隷として労働力人口を確保することが盛んに行われたらしい(旧約聖書)。

 

 しかし、地方の氏族的国家の原型に過ぎなかった統治機構は、報復、反乱に対して脆弱であったらしい。古代の農業革命によって、急速に富を蓄積し始めた人類は、その富を守る軍隊を産み出し、統治機構を産み出し、貨幣を発明した。貨幣の発明には、その交換価値を担保できるだけの強力な政治的権力と富の集中が必要である。第2文明は、そのパラダイムの中核として、強力な権力を集中させた専制的な統治機構を構築することであった。

 自らを護るために選択されたのは、敵対勢力の首長やその氏族的血縁の濃い者たちを根絶やしにする方法であった。わが国にでも、壬申の乱に始まって、源平の抗争、その後のいくつもの歴史的事件として残る抗争、戦国時代を経て、豊臣/徳川の抗争を最後に、徳川家康によって「武家諸法度」、「公家諸法度」 が、徳川幕府の強大な権力の基に定められた。

これらの諸法度により、抗争と報復は禁じられた。同時に、世界初の平和条約とも呼ぶべき諸法度により、日本国民は、鎖国という大きな代償を払う一方で、キリシタン弾圧があったものの、300年に及ぶ平穏を得た。 しかし、競争といえばまず敵対的競争を頭に描く傾向、徹底的な抗争と殲滅の戦略、すなわち第2文明のパラダイムは、第3文明のパラダイムへ移行したのちにも、依然として続いている。第3文明のパラダイムは、啓蒙主義と産業革命によって端緒を拓かれ、いまや工業化された民主主義国家であることがパラダイムの本流を形成している。このパラダイムの本流形成の原動力を担っているのは、テクノロジーの進化である。テクノロジーの進化・発展は、二つの要因の制約を受ける。自然界の動かし難い法則という要因と、人為的・社会的要因の制約とである。更に、自然法則を破壊的に無視する人為的要因によって、温暖化と異常気象の恒常化という、もしかすると回復不可能と思わせる環境負荷要因の深刻化が加わっている。

 

第3文明は、テクノロジーを進化させることによって、当該テクノロジーの進化の限界領域にまで近付いてしまった。先進国といわれる国のテクノロジストたちはそのことに気が着き始めた。徹底的な抗争と殲滅の競争戦略ではなく、WIN-WINの競争関係の樹立の戦略への転換が必要なことである。「WIN-WINの競争関係の樹立の戦略への転換」こそ、第3文明のパラダイムが産み出した偉大な発明と呼ぶべきであろう。徹底的な抗争と殲滅の競争戦略は、いまや、孤立的な亜種を産み出し、自らガラパゴス化の道を辿るだけであろう。かつて「一太郎」という非常によくできた日本語ワードプロセッサソフトウェアを搭載したNECのパーソナルコンピュータはヒット商品として一世を風靡したことがあった。非IBM路線をとっていたNECはパーソナルコンピュータにおいても、IBMがつくったWindows BIOSを拒絶したため、Windows亜種となってしまい、パーソナルコンピュータ事業から撤退することになった。

 一昔前の話で恐縮であるが、1979年末に、アメリカ半導体業界不況の中、アメリカ進出のミッションを帯びて現地に赴任した。第1号機受注まで3年を要したが、その間アメリカ中を飛び回って、多くの勉強をさせてもらったことである。半導体デバイスやICT関係の市場と学会ばかりであるが、いろんなデファクト標準を目指したコンソーシアムが活発なことに驚かされた。中でも私の興味を引いたのは、UNIX バークレイ版、J-PEG、MPEGのグループのアクティビティの高さであった。いずれもコンペティタの連中が一堂に会して侃々諤々やるのである。その頃、私はISOのTC97/SC13 Interconnection of Computers の標準化を目指したサブコミティの日本委員を担当していたが、その雰囲気は全く違うもので、コンソーシアムの場合、全員が市場/ユ?ザーのほうを向いて取組んでいるように見えた。近年の成功例としてはLINUXをあげてもよいだろう。 従来型携帯電話にも、スマートフォンの通話に用いられている方式CDMAは日本で開発されたものである。ガラパゴス化などと悄気ていないで、その中にある市場ニーズをつかんでいるものを第二機会として活かし、デファクト標準をめざすアイデアと国境を越えた国際的なコンソーシムの呼びかけが必要だ。

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2.3.美しい日本語とテクノロジー 1  (10回)      

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  前に「ガラケー」という言葉にふれたことがある。なんとも美しくない日本語である。「ガラ」はガラパゴス化の短縮略語である。もともとGalapagosizationという日本で生まれたビジネス用語で、欧米ではGalapagos Syndromeと呼ばれることが多い。ガラパゴスは外来語であるが、固有名詞なので、一般に翻訳しないで片仮名表記をすることが多い。これを借用語と呼ぶ。たとえば、「ラジオ」は借用語であるが、「受信機」は翻訳語である。

欧米語からの借用語が急速に増えたのは、幕末から明治時代にかけてである。「電信」「鉄道」「政府」「政党」「文明」「主義」「哲学」「自由」その他、西洋の文物を漢語を用いて翻訳した(新漢語。中国語にない語を特に和製漢語という)。
 漢語が日本語の中に入り始めたのはかなり古く、考古学的史料以前の時代にさかのぼると考えられ、今日和語とされる「梅(ウメ)」「馬(ウマ)」なども漢語からの借用語であるといわれる。その後、日本書紀以下の記述などからわかることは、公用語として、ある時期から全面的に漢文が採用されていることである。飛鳥時代の官僚育成は、まず徹底的な漢文教育だったらしい。遣隋使(5回以上)、遣唐使(12回?20回)など朝貢外交で受取った貴重品を、密かに悉く売り払い、大量の書物を買い込んで帰国していたらしいことが、同時代の中国資料にあるという。

そうして律令先進国のガバナンスや仏教そしてテクノロジーを吸収していたと思われる。借用語などという生易しいものではなく、漢語そのものに熟達することが求められた。しかし、漢語の苦手な日本人は、漢字はそのままで、返り点、送り仮名をつけて、和語に近い構文や発音に直して読む漢文訓読体を発明した。その結果形成されたのが、和漢混交文と呼ばれる、現在の日本語表記体系の基本となった文体である。漢字の纏まった渡来/使用から500年以上を経て、役所に出仕するようなエリートや男子の文書表記法も、公式には漢文、日常は和漢混交文を用いるようになった。万葉仮名由来の平仮名と、漢文の書き下ろしである漢文訓読体とを極めて巧妙に合流させて和漢混交文できあがったとされる。古くは「今昔物語」「方丈記」「徒然草」「平家物語」などの同時代写本が残っている。残念なことに、古い公文書類の多くは、度重なる戦乱によって失われた。学者の研究によると、徒然草において、漢文訓読体は31%に及ぶと言う。 ついで借用語が急速に増えたのは、情報機器の普及し始めた1990年代以降のことである。

 

しかし、それに先立って、明治以後、急速に進められた近代化、欧米化にともなって、漢語に代わって大量の欧米語、とくに英語と欧米的理念の受容が必要になった。この時は、西洋の文物を漢語を用いて翻訳した。その努力と的確さには、尊敬の念を禁じ得ない。とくに、テクノロジーに関するものは、今日、大学で用いられている科学技術系の教科書に出てくる専門技術用語の殆どは、明治期の先達によって翻訳されたものであるが、今後も修正の必要なく使われるであろうものばかりである。そして、原語からの借用語が非常に少ないことに驚かされる。

ところが、1955年頃から少しずつ様子が変わって来た。じつは、1930年代後半からおかしくなっていたのだと思う。この時期、国際情勢は急を告げていた。300年前に起こった産業革命の結果、世界は第3文明のパラダイムに大きくシフトしようとしていた時期でり、テクノロジーは非常に発展していたにも拘らず、日本は自ら学問的に真面目な国際交流の活性度を低下させていた。テクノロジーの分野を筆頭に、一国のガバナンスにかかわる、政治、経済、経営などの分野、芸術、哲学などあらゆる分野で、自ら孤立化の路線を歩み、ポツダム宣言の受諾にまで行き着いた。このプロセスにおけるガラパゴス化の生態は、いつも金太郎飴のように、いつの時点の切断面をとっても、よく似ている。
 第1次産業革命で生まれたテクノロジーは、古典力学の知識で十分であった。テクノロジーが、分子レベル、原子/電子レベルの知識を必要とするようになると、現代物理学の新しい専門用語が急増すると、とても翻訳などしている暇がなく、下手な翻訳語をつくると新しいテクノロジー概念の理解を妨げることになる。先端テクノロジーの分野程その傾向が強い。そこで、原語を片仮名表記して、そのまま用いる借用語が急増した。

7世紀初頭における遣隋使の派遣が、当時の外交的プロトコルを知らないために、良好な外交関係を築くことに失敗した。第2文明のパラダイムにおける外交は、朝貢外交が基本であり、貢物を贈るか、殲滅されるかであった。幸い日本は極東の小さな島嶼国であったため、殲滅の道を免れていたが、元の時代に2回にわたる殲滅作戦に見舞われるなぞ、現代に至るまで継続している、地政学的緊張関係を産み出した。これは国のガバナンスにおける外交のガラパゴス化に他ならない。孤立/閉鎖的独善傾向、島国根性、外交的プロトコルを知らない、外国語を修得するのが下手、等々、日本人はガラパゴス諸島の生態系にみられる進化論的行き止まりになりやすい性質を持つ民族でる。

 

「ガラケー」とか「スマホ」と何の反省もなく呼ぶことがガラパゴスシンドロームであることに気付くべきである。さきに借用語が急速に増えたのは、情報機器の普及し始めた1990年代以降のことであると書いた。Windows 90搭載のパーソナルコンピュータが、世界で月100万台ペースで売れるようになった年に注目しただけである。携帯電話サービスがスタートした年でもある。しかし、実体は、IBM S360(1963)、IBM S370(1970)の販売、集積回路の生産・販売開始(1963)によって1990年の氾濫は胎動し始めた。
 S360/370は、コンピュータのアーキテクチャとOSなどに関連する膨大な専門用語を産み出し、半導体デバイス産業の出現は、製造プロセスの稼働のために高レベルの新しい知識の修得が必要になった。同時に応用面の大きな変革は、ICを用いたデジタル機器の設計にも、建築、船舶、自動車、航空機などの設計、生産工学上の大変革をもたらし、大量の借用語が必要になった。しかし、いずれも専門のテクノロジストに留まっていた。
 それに対して、1990のできごとは、PCの普及によって、これ等の多くが、普通の人々や、未成年の男女の間に広く普及したことであった。
 その結果生まれたのが、短縮語、短縮合成語であった。第4文明のパラダイムの先駆けが、美しくない日本語の氾濫から始まって良いのだろうか。

 

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2.4.美しい日本語とテクノロジー 2 (11回)

      

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  ガラパゴス諸島の生態系にみられる進化論的行き止まり、すなわちガラパゴスシンドロームから脱却するには、日本人がガラパゴスシンドロームになりやすい性質を持つ民族であることを自覚する必要がある。それは、日本語の形成過程に由来する。しかも、これは同時に、珍説といって良い程の異説・新説で もある。

しかし、私はどうしても、この珍説を展開してみたい。
 第一に、ガラパゴス化は、テクノロジーの世界だけに生ずるのではないと思う。もっと広くあらゆる分野で、社会、ガバナンス、文化などのあらゆる局面で起こるものであろう。

 

 しかし、これを進化学の厳密な学術的意味における進化にこだわれば、進化とは、生物個体群の性質が、世代を経るにつれて変化する現象にのみ用いられるべきでありとする、19世紀以降の定説に弓を引くことになる。これは進化学そのものが、生命科学の一翼として、未だに発展途上の科学であるからでもある。欧米では、古代ギリシャの哲人に始まり、何世紀にもわたって、「神のような超自然的存在の干渉による創造」とする宗教や歴史学、社会科学などをまきこんだ複雑な議論が続いた。21世紀の今日において、保守的なプロテスタントや保守的なイスラムは進化論を拒否しており、米州南部では高校の教科書から進化論を排除する法令を定め、裁判になっている。−−−− 従来型携帯電話機のことをガラケーと呼ぶらしい。ガラパゴスケイタイの合成語・省略短縮形である。テクノロジーにおけるガラパゴス化の状況は、いずれにしても、今後、克服してしまわないと日本の未来の道は拓けないという、深刻で、危機的な状況である。 通常、問題は解決したとしても正常性が回復されるだけで、進歩、進化には結びつかない(ドラッカー)。ガラパゴス化は、問題解決のアプローチでは克服できない状況であることに、まず、気が憑く必要がある。

したがって、第二に、進化と言った時は、生物の進化を指すのであるから、テクノロジーや社会や文化のそれではないとする定説が一般的である。にもかかわらず、現在の世界において、一般的に「進化」という言葉が使われている場合、学術的に厳密な「進化」ではなく「進歩・グレードアップ」というニュアンスで用いられ、本来の「進化」もそうであるかのように考えられている。大袈裟にいえば、厳密な意味での「進化」の法則の写像を、文明の進化・発展のシナリオに投影しても間違いではないではないか、とする考えに立つことである。

私も同様に、第二の考えに立つ。その上で、テクノロジーは進化するのか。言語は進化するのかを問うてみたい。私は、テクノロジーのガラパゴス化より以上に、日本語のガラパゴス化が心配である。
 認識とか方法の道具・手段である言語は進化してくれないと困る。言語とテクノロジーとは密接な関係があった。これが私の異説の本題である。
 

 過去から現在に至るまで、日本語の形成と進化において、飛躍的進化をした時期が三回あった。第一回は、中国からの第2文明のパラダイムが大量に流入した時期である。飛鳥時代から、奈良時代、平安時代にとくに集中した。先進国中国の文明が、途上国日本に堰を切ったように流入し、第2文明型のガバナンスの知識をうまく活用した勢力が、国内の覇権を握って行ったとしてもなんら不思議はない。
7世紀に遣隋使、遣唐使や留学僧らによってもたらされたものは、漢字だけではない。膨大な、漢文文書、そこに記載されている仏教やガバナンスに関する知識と、紙漉のテクノロジーを始めとする先進テクノロジーであった。『日本書記』によると、西暦601年に相当する年に、論語十巻他がもたらされたという。紙に記載された最初の文書であるとともに紙漉のテクノロジーももたらされたとされる。全国44ヶ所に公営の紙漉工房が開かれた。

この時から、日本語の苦難の歴史が始まった。律令に基づく法令、行政文書など全ては漢文によるものであったので、学問所が開かれ、官僚たちへの漢字・漢文・漢語教育が行われた。漢語は当然漢音による音読みであった。
 音読みには呉音・漢音・唐音(宋音・唐宋音)・慣用音などがあり、それぞれが同じ漢字をちがったように発音する。たとえば、「明」という漢字を呉音では「ミョウ」と、漢音では「メイ」と、唐音では「ミン」と読む。「行」という漢字を呉音では「ギョウ」と、漢音では「カウ」(コウ)と、唐音では「アン」と読む。
 日本への渡来は呉音がもっとも古いが時期は同時代史料が皆無であり不明である。ちなみに、万葉仮名は呉音であり、後の平仮名や「女房言葉」に通ずるとされる。漢音は7世紀に遣唐使や留学僧らによってもたらされた唐の首都長安の発音(秦音)である。唐音は鎌倉時代以降、禅宗の留学僧や貿易商人らによって伝えられたものである。
 そこで考案されたのが、個々の漢字を、その意味する大和言葉に置き換えて読む漢文訓読の方法であった。これは、漢文を日本語の語順に近い順序に並び替え、必要な送り仮名を付して読む方法である。平安中期になると一語一訓の形が推奨され、室町時代には、現代日本語に近い形になった。しかし、日本語が漢字・漢語発想であることに変わりはない。
 これを日本人の英知と呼ぶこともできるが、中国語がグレコローマン語族と同様のSVO型であるのに対して、日本語はSOV型の語順構成をとる。このことは、同時通訳の人達を苦労させているだけでなく、言語による認識・発想の過程が異なることを意味し、今後、先端テクノロジーなどの、国際共同開発の障害にもなる。
 第二回は、江戸時代にオランダを通じ、細々と流入していたものが、江戸末期に、産業革命によって国力をつけ、第3文明のパラダイムを形成し始めた欧米からの文明の流入である。
 明治期における欧米語の渡来に対しては、翻訳語を用いて欧米原産の第3文明のパラダイムの怒濤のような流入をうまく受入れ、産業の近代化とテクノロジーの飛躍的進化を遂げたように思われた。いずれも漢字・漢語に訳されたが、漢文訓読の原則は崩壊し、音訓合わせ読みも生まれた。たしかに、都合の良い選択的吸収と排除によって発展した。しかし、第3文明のパラダイムにとって、一番大切な啓蒙主義、民主主義を日本の伝統と相容れないとして排除してしまった。非常に大きな戦略上の誤りを犯し、自ら進んでガラパゴスシンドロームに陥ることになる。

 三回目は、第2次欧米語の渡来と呼んでも良い。しかし、今直面しているのは以前の二回のときとは根本的に異なる状況である。テクノロジーや科学的知見は巨大化しており、とても翻訳では間に合わない。ブレーキになる誤訳も多発するであろう。第4文明のパラダイムへの移行はすでに開始してしまっている。半導体化とICT化、地球温暖化に対処するためのあらゆるテクノロジー分野の急激な革新がもう始まっている。翻訳が間にあわないなら、もとの言語をそのまま使うしかない。身近なものとしてスマートフォンがある。高知能電話機とでも翻訳できるが、スマートフォンという借用語があてられて、市場に投入された。たちまち現れたのがスマホという省略形であった。英語のsmart phomeは2シラブルであるから、これ以上省略のしようがないが、借用語を片仮名表記すると、7文字5シラブルで、これを長過ぎると感じる人がいても、わからないわけではない。しかし、こういうことばが日本語の中に蔓延るようなことは避けたいものである。ある種のシンボリック言語であるとして頑張る人もいるだろうが、そのためには外国人にも解る意味論的な正確さが求められる。またいきいきとした音の配列でもない。日本語をなんとかしなければならない。このままでは、第4文明のパラダイムを構築に貢献できない国に成り下がるであることが心配だ。

 

 意味が正確で、いききと美しい日本に創りかえて行くことが必要だ。第4文明のパラダイムにおいては、一層のグローバル化が避けられないからだ。

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2.5.美しい日本語とテクノロジー3 (12回)

      

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改めてテクノロジーと言語の問題にふれたい。世の中の進歩に、日本語の進化がついて行けなくなっているという話である。
 秘伝とテクノロジーの違いは、テクノロジーがそれを必要とする人達によって利用されるために、第三者にも良く解るように記述されていることにある。新しいテクノロジー、新しい発見の記述には工夫された新しい言語表現が必要である。新しいテクノロジーが、本当に新しくて、価値あるものかを知るためには、既存のテクノロジーについて普く知らなければならない。既存のテクノロジーについて体系的に記述された基準文書、すなわちテキストブックが必要になる。テキストブックを『教科書』という和製漢語に訳したのは誤りである。テキストブックは、新しいものを掬いあげる篩のような基準文書である。
  飛鳥・奈良の時代以前に、日本に最初に大量に渡来したのは漢語であった。かつて漢語の導入時に生じた無知や間違いによる混乱を、われわれの先祖は数世紀をかけて克服して来た。それは漢文の日本語化という手法であった。その中で日本固有の、漢語による合成語則、省略法則を作り上げて来た。
 明治以後は、漢語ではなく、フォネティックな言語である欧米語が、新しい概念や方法論とともに渡来した。この時は、大量の和製漢語を創り出して乗り切った。欧米語表記の新しい概念を、その意味を表すであろう漢語に翻訳し、それでも翻訳し切れないときには、漢字の新しい組合わせ、和製漢語を生成した。このときから新しいフォネティック渡来言語との付き合いが始まった。案配の良い翻訳が得られないとき、元のことばに近いカタ仮名表記をそのまま用いることで乗り切る方法がとられた。

 しかし、1950年代に始まった世界的規模での技術革新、21世紀に始まった大規模なテクノロジー開発は、またたくまに新しいテクノロジーやテクノロジー要素、クロスディシプリナリな新テクノロジーを産み出している。今までなかった知識の洪水の中にいるようなものだ。そうなると、言語由来の曖昧知識、知識欠落、誤り、などが増大する。混乱と損失を産み出す。かつての漢語のようにこの混乱を数世紀をかけて克服するような余裕はない。言語自体も劣化し、醜悪化する。
 スポーツの万能選手のことを、英語では、よくユーティリティプレイヤーという。オールラウンダーと呼ぶこともあるが、これはall arounderがもとの英語なのである。

る略称を「JAL」とし、「ジャル」と自称している。国連機関の一

ANAとJAL

日本航空は自ら提示する略称を「JAL」とし、「ジャル」と自称している。国連機関の一つであるICAOが登録を受入れている略称は、JALであるが「ジェイ・エイ・エル」と読まれている。通信用コールサインは「Japan Air」、IATAが認める便名用のプレフィックスは「JA」(ジェイ・エイ)である。
これに対し、全日本空輸の場合、自ら提示する略称を「全日空」、「ANA」とし、「エイ・エヌ・エイ」と自称している。ICAOが登録を受入れている略称は、ANAであるが「エイ・エヌ・エイ」と読まれる。通信用コールサインは「All Nippon」、IATAが認める便名用のプレフィックスは「NH」(エヌ・エイチ)(設立時、全日本ヘリコプター空輸)である。
航空輸送業界は、軍用航空機まで含め、その運行、航空管制業務は、各国とも政府機関が行うが、国連と密接な関係にあり、全世界が英語で行うことになっている。そのため、旅行会社が使う公式の作業言語も英語である。JALをジャルと呼んだら、ローマ字表記の日本語で、英語圏には存在しない単語になる。私は30年以上、日米間を行き来して来たが、アメリカ人が「JAL」を「ジャル」と呼ぶのをただの一度も耳にしたことはない。

Real Time

以前、Virtualを「仮想」と訳すのは誤訳であることを述べたが、Real Timeを「実時間」と訳すのも首をかしげたくなることである。もともとReal Timeと言う英語は、情報工学分野で、Batch処理に対して、Real Time処理のプロセスが考案される以前には、日常英語にはなかった言葉である。「実時間」という漢語訳から入った人が、Real TimeのRealの意味をsimultaneous(同時)とかinstantaneous(瞬時)の意味に勘違いすることはよくあることである。初期のコンピュータは、一つのジョブしかできなかった。プログラムをローディングするジョブ、データを入力するジョブ、演算を実行するジョブ、処理結果をプリントアウトなど出力するジョブのように、人手をかけて一つずつ行っていた。運用効率をあげるために、マルチジョブ、マルチタスク、優先度制御の環境が考案され、コンピュータの資源を複数のジョブに手順良く配分してやることで、上手にプログラムしてやると、あたかも、一番手間の懸かるデータ入力が終了するのと、あまり時間をまたずに、全ての関連ジョブを終了させることができるようになった。これをバッチ処理に対峙して、リアルタイム処理と呼んだのである。技術的成果に気を良くした開発者が「ノリ」でつけたものと思われる。

新しいテクノロジーに、うまくイメージが合致すると、テクノロジー用語にスラングでも平気で導入してしまうのがアメリカ人である。表記が正確ならば、いきいきした方が良いということだろう。傑作なのに『timing control on the fly』というのがある。on the flyは野球用語で「フライに乗って」とか「フライが飛んでいる間に」ということでpositioning change on the flyである。漢語では翻訳できない。さらに悪いことに、ある日本人がreal time timing controlと訳し、半導体製造装置協会の技術用語集に堂々と載せてしまった。まったく、国際的田舎ッペイの恥さらしというべきか。  日本語の劣化を救うには、フォネティックな外来言語との付き合い方を根本的に変えなければならない。  

太平洋戦争後、日本語には、標準語政策を担当する機関がなくなったため、公式には標準語は存在しない。必要に迫られて「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「標準語」が「共通語」に言い換えられるようになった。標準語という考えは、中央集権的でよくないともいう。18世紀フランスにつくられたアカデミーフランセーズの役割は、規則的で誰にでも理解可能な言語に純化し、統一することであり、その目的を達成するために辞書と文法書の編纂を重要な任務としていた。現在も40名の終身理事によって維持されている。なにしろフランス国内だけでも10に余る方言があり、一方で、14の母音と4つの鼻母音があって、その発音が方言によって異なる。動詞の活用は複雑である。パリという街は、フランスの中にパリという国があると言って良い程、何でも独自の雰囲気、個性にあふれた所で、ここには言語上の四つの階級があるともいわれる。知識人・文化人と呼ばれることもある人々が、正確で、美しく、上品なフランス語を話そうと努力しているという。日本にもこれからの正確で、美くしく、上品な日本語を創り出していく勢力が生まれて来ても良いであろう。

 


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2.6.美しい日本語とテクノロジー 4 (13回)

      

キャリア・コンサルタント協同組合 風 巻  融

言語の曖昧定義  ガラケーなどと言っているのは、日本語の混乱、醜悪化、劣化以外の何ものでもない。 通信工学、情報工学、品質管理において禁じられていることが、言葉や記号やオブジェクトに対する曖昧定義、欠落定義(意図的無定義を含む)、誤定義、うっかりミスの混入である。それ等が品質の劣化を招き、新しいものを、先進的なテクノロジーを産み出す最大の障害だからである。社会に広くそういう障害を見逃す傾向が蔓延すると、ただ見せかけ生き生きしていれば良いとか、面白ければ良いとかで、安易に褒めそやすような傾向が広がる。これは。テクノロジーの発展だけでなく、社会の進化にも決してプラスにはならない。 NHKの午前の番組「あさイチ」は「朝市」(朝早くに立つ市場)なのか、「朝一」(朝一番のトピックス)にちなんだものなのか。番組では「あさイチ」と平仮名と片仮名との合成表記がされていて、わざと両者にちなんだように見せかける、思わせぶりを感じるが、いずれにせよ8時15分の開始は遅い朝である。「朝市」や「朝一番」のもつ緊張感とも無縁の、間抜けた朝の感じが強い。日本語の朝と英語のmorningとは時間帯の概念や感覚が違うのである。日本語の伝統からすれば「あさいち」は朝市場である。朝一番とする用法は、きわめて近年のものである。「朝市場のような」という比喩的表現に使われるように、新鮮で多様な、豊かな商品が出品されているイメージを出したいなら、直裁なアプローチをとるべきである。「朝一番」を狙うなら、これもその方が良い。  私の願いは、日本語を粗末に扱わないで欲しいということなのだ。番組の意図が「ちょっと遅い朝一番の話題」であって、いそがしいスタッフ達が、短縮形を好むなら、繰り返しその主旨を視聴者に訴える必要がある。こういうおかしな短縮形は、近年日本に流行っている怪しげな日本語であることを、外国人にも良く解るように説明しておくべきである。 もう一つ、もっと劣悪なのは「ニュースしぶ5時」である。制作者の意図としたら「渋谷発 5時のトピックス」とでもいう巾広いコンテンツを、今流に短い、パンチの効いたタイトルで表わしたかったのだろう。「ニュースしぶ5時」につずいて、「首都圏ネット」、「ニュース7」、「特報首都圏」と報道系の番組が目白押しに3時間も続くので、それぞれの特色を出すのに大変だろう。「あさイチ」にせよ「しぶ5時」にせよ、なんらかの正確な表題として考案された番組を、合成語の短縮形で表わしたものである。かつ、それ等が人工のシンボリック言語と同じ用法で使われていることが問題なのだ。「しぶ」も「5時」も、ここではシンボルである。  まず第一に、渋谷を「しぶ」とすることを許す、日本語の省略則はない。渋谷は、平安末期以来の武将渋谷氏の領地として繁栄した地域の名称で、歴史的にも意義深い地名である。このような地名、固有名詞は省略しないとする、日本語の一般則に反する。でなければ「しぶ」は、柿の渋の「しぶ」であろうか。そうでもなさそうである。やはり渋谷であり、渋谷発の意味合いなのであろう。実体は渋谷の放送センター編集を表わした内容に思える。地方局取材や外国メディアをソースとしたコンテンツは多彩で面白い。「当年、当月、当日の午後5時までに集めた世界のトピックス」を表わし、さらに渋谷文化と良くいわれるパラダイムに便乗しようという魂胆があるとすれば、お粗末というほかない。 2000年代初頭を飾ったブログをはじめ、2013年に始まったSNS上にFacebookやLINEやYoutubeがパソコンに限らず携帯電話でも使えるようになると、文字数をへらす目的で、省略形のシンボルの多用化が急速に進み、新世代の日本語の誤用や乱れが目立つようになった。正確で美しい日本語の形成に逆行する流れが勢いを増している。 シンボリック言語  人工のシンボリック言語はIT技術の登場とともに生まれた。人間の意志をコンピュータに知らせるプログラミング言語として人工言語ツールが考案された。これがなければ、ユーザーは01101101110のような2進のコードの機械語命令を、スィッチレジスターで1語ずつプログラミングしなければならない。このadd、subtract、move、jumpなどを始めとする機械語命令は、機種によって異なるものが20から200位用意されている。当初、3文字のシンボルで表記し、これを機械語命令(01101101110)に変換する人工言語処理プログラムがつくられた。このとき、ADD、SUB、MOV、JMPなどとシンボル記号によって表記された。人工のツール、シンボリック言語は数多く考案され、大学教育において文系の学生にも履修させた。統計、金融工学、マクロ経済、複雑系などにおいては、高度の人工言語、ツールの修得は必須である。賢い学生は、シミュレータや計算ツールを自作して研究するようになった。成功したもの達は、人工言語においてシンボル化を行うとき、文法上の幾つもの準則があって、それを無視した成功がないことに、いち早く気がつき、実行した者達であった。むかしの私の失敗談であるが、ある装置の制御・実行プログラムを生成する開発環境を開発した時のことである。OSから、言語にいたるまで、ハードウェアまで含め、25億円という、かなり大掛かりのものであった。そこで、ファイル生成(FileGneration)のためのOSカマンドにFというシンボルをあてた。アメリカで売るべく、先行販売を始めたところ、これはGにしてくれという。作業オブジェクトは生成(Generation)にあるのだからGでなければならない、というのである。Gにしなければ、アメリカには売れないと言われ、青くなったことがある。これは一人良がりの誤った省略形の例である。外国語との合成語や省略形の仕様には、厳密に正確性を追求することが必要である。 片仮名外国語  日本では、明治初期に国語という言葉が登場する。国語は、和製漢語で、中国語にも英語にもない言葉であり、概念であった。現在も、日本語という教科はなく、国語という教科がある。このような例は,世界的に極めて珍しい。わが国においては、国語学会が廃止され日本語学会がつくられているのに、国語という教科は健在である。明治以後、英語、仏語、独語などによって書かれた文献が大量に輸入された。近代合理主義に基づく新しい知識に満ちたこれらの文献を日本語に翻訳する必要に迫られた。英語を日本語に翻訳するにしても、英単語に相当する日本語概念がない状態からの出発であった。Locomotiveを機関車、Trainを列車と翻訳することは、それ等の日本語概念を、漢字を用いて創出することでもあった。漢字を用いてうまい日本語概念をつくれないとき、その単語の表現に近い片仮名表記を用いた。  無知や間違いによる混乱は厄介な問題である。かつて漢語の導入時に生じた間違いや曖昧さによってもたらされたときの混乱を数世紀をかけて克服して来た。 表意文字である漢字による合成語則、省略法則を作り上げて来た。英語のようなフォネティック言語とは違う。フォネティック言語にはフォネティック言語固有の合成語則、省略語則がある。省略語は必ずシンボリックな意味で用いられる。  言語は意志の伝達手段であるとともに、物事の認識手段でもある。誤訳による間違いを根絶し、認識手段としての言語表現の精度をあげるため、片仮名による表記をやめ、英語はそのまま英単語のスペルで行うようにしたらどうか。 片仮名外国語  同僚や部下の誤りと失敗の例であるが、英語のできない奴ほど、一度間違って覚えた英語に思い入れが強く、軌道修正が利かない日本人が多い。  まず、realtimeを実時間と訳すのは誤りである。Realtimeは、コンピュータのbatch処理に対して、on-line realtime処理をいうときに使われる特定の技術用語である。野球用語にon the flyというのがある。「フライに乗って」とでも訳せ、placement change on the flyなどと使われ、 攻撃側がヒット性のフライを打つと、全野手が次のモーションのに備えて位置取りを変える。その様は迅速で、きびきびとして気持のよいものである。アメリカ人は、このon the flyを技術用語にしてしまった。IEEEのTest Technology Committeeは、「on the fly timing control」正式の技術用語として採用している。on the flyの意味を知らない、そしてrealtimeを実際の時間と誤っていたわが同僚は、得意になって、「realtime timing control」としてしまった。私の助言を無視し、ご丁寧に、電気学会半導体試験技術調査委員会のお墨付きを貰って、日本半導体製造装置協会の技術用語集に掲載してしまった。改訂の計画はさらさら無く、この30年間、世界に恥を曝している。 また、生産工学、制御工学などで良く使われるものに、ターンアラウンドがある。これは英語のturn-a-roundに相当し、turn aroundは、この場合誤りである。Roundは、例えばボクシングの試合におけるラウンドと同義であり、時間を内包した言葉なので、ターンアラウンドタイムとはいわない。ターンアラウンドをturn aroundと勘違いした、極めて多くの日本人は、ターンアラウンドタイムという言葉を、著名な学会発表などで乱発して来た。1970年代では、日本人の「ターンアラウンドタイム」は顰蹙を買っていた。半導体の不純物拡散工程は非常に大切な工程で、その1ラウンドの所要時間は自然法則で先験的にに決まるものなのである。ボクシングの1ラウンドは、国際ルールで先験的に決められている。すなわちラウンドの概念には先験的に決められた時間が内包されている。その上、「タイム」を付けたら何を言っているのか、訳の解らない話になる。Aroundとか、ロウンドという言葉の周辺には落し穴が一杯ある。万能プレイヤーを意味するオールラウンドはall around の間違いである。  アカデミーフランセーズの役割は、フランス語を規則的で誰にでも理解可能な言語に純化し、統一することであり、その目的を達成するために辞書と文法書の編纂を重要な任務としていた。 太平洋戦争後、日本語には、標準語政策を担当する機関がなくなったため、標準語がない。現在の日本には標準語を定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式には標準語は存在しない。「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「標準語」が「共通語」に言い換えられるようになった。  日本語の混乱を救うには。NGO現代日本語アカデミーのようなものが、権威を持ってあたるようになるべきだ。

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