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≪ビジネス/ものづくりお役立ち市場 マガジン  vol. 003 ≫2


3.第3文明の出現とそのパラダイム

      3.1. 知識社会は実現するのか (14回)

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  知識社会の到来の議論が行われて来たが、知識社会は一体どうなっているのだろうか。アルビン・トフラーは、1970年に書かれた『未来の衝撃』から1980年の『第三の波』にかけて「脱産業社会」(Post Industrial Society)の到来を論じ、1990年の『パワーシフト』において「知識と富と暴力の変容」をとなえ、はっきりと「知識によって富と暴力を制御することが可能な時代にさしかかった」と述べた。私自身も『第三の波』、ついで『パワーシフト』にはおおいにインスパイアされた。トフラーのいう第一の波とは、新石器時代に定着農業が始まったことをもって農業革命が興ったとしていることである。第二の波とは、産業革命のことである。そして第三の波とは、脱産業社会(Post Industrial Society)である。私は、トフラーの第一の波・農業革命の前に、「第一文明」のパラダイムを生成した「プロトテクノロジーの時代」が永く続いたことに着目したい。「第二文明」のパラダイムの生成を促した農業革命は、灌漑農業テクノロジーの普及から発した。灌漑テクノロジーは、上水道、下水道のテクノロジーをはじめ、後にCivil Engineeringとして知られるようになる、急速に高まった農業生産性の果実としての富を護り、有効活用するテクノロジーとガバアンスを産み出した。第二文明のパラダイムにおけるガバナンスの特色は、王朝的専制の形態をとることにある。

第三文明のパラダイムを産み出したのは、1800年代に興った産業革命であった。産業革命は、機械的動力テクノロジーとしてワットの蒸気機関の発明に起因するというのが、常識のごとくいわれる。しかし、ピーター・F・ドラッカーは、グーテンベルクの活版印刷機の発明をあげる。この印刷テクノロジーを活用した大規模な先端知識と啓蒙思想の普及が可能になったことが、産業革命をもたらしたと主張する。これは、知識社会のプロトテクノロジーと意味付けてもよいのではなかろうか。

しかし、Post ××といっても、ポストではただ単に、「その後」「それ以後」といっているに過ぎず、波の実体を表わしてはいないのである。そこで登場したのが、「情報化社会」、「情報革命」など十に余る類義語であった。「情報化社会」、「情報革命」などといって十に余る意味付けがされても、脱産業社会が直面した深刻な危機に対処しきれていない。いうまでもなく、エネルギーの極端に大規模な多消費がもたらす各種の有害な産業廃棄物の大量生産と投棄によって環境破壊と気候温暖化が危機的に進行していることである。この危機は、「知識によって富と暴力を制御する」立場にたっていたアメリカの「富と暴力」に翳りが出始め、先進国が産み出した南北格差への不満が拡大し始めた時期に顕在化した。
 加えて、ICTと言ってもてはやされている情報と通信のテクノロジーがどんなに進化しても、人間の知的活動の生産性を高めるインフラとしてのツールテクノロジーの役割に留まる。

しかも、「知識によって富と暴力を制御する」ことによって、人類に富と幸福をもたらせると考えるのは、『脱産業社会』などと夢見ているのは欧米の先進国に限られるのではないだろうか。わが国もその仲間入りを意図してきたが、この欧米先進国は、いずれもキリスト教の宗教観をベースに発展して来た国々である。これに対して、イランのホメイニ革命に端を発し、イスラム圏に芽生えた原理主義、「反十字軍」の旗印を掲げる過激派グループはテロの暴力に走ってしまった。かれらは一体どこへ、どういうかたちで着陸しようとしているのか、まったく見当もつかない。 
 それ以上に危険な存在になりかけているのが中国である。ケ小平が、かつて「白い猫でも、黒い猫でも、鼠をとるのは良い猫だ。」といったとき、世界中は、中国が「改革開放経済」によって「白い猫」になることを目指していると勘違いしてしまった。そのとき、中国が依然として中国共産党王朝がガバナンスを司る、第二文明のパラダイムを継続していることを忘れてしまった。第二文明のパラダイムにおける王朝支配の特徴は、専制的な人権無視と、独善的な覇権主義・朝貢外交にある。

未だ経験していない未来における富と幸福を手に入れるために何をやるべきなのだろう。 第一は、気候温暖化を阻止するテクノロジー、海中に不法投棄されたプラスチック、マイクロビーズを回収し、無害化するテクノロジーなど、サステナビリティ産業の振興ができる。たろえば、エルニーニョ水域をはじめ海面温度を直接冷却する、ソーラーパネル発電をしながらペルチェ素子による直接冷却を行ない、連鎖的に気候温暖化を阻止する巨大筏や、海底相似ロボットのようなもの開発と運用などは直ぐにでもできるのではないか。

第二は輸送機産業の大改革であろう。自動車産業はすでに気がついて着手しているが、全車種の燃料電池電気自動車化と高齢者むけ自動安全運転システムの開発と実用化であろう。自動車産業は20世紀経済の牽引役の地位をしめてきたが、第四文明のパラダイムの一角として今後も重要な地位を占めるであろう。
 鉄道輸送システムは第一次産業革命の担い手であったが、全路線地下トンネルによる超伝導貨物コンテナ輸送システムが考えられる。

船舶輸送は、水上よりも水中のほうが造波抵抗が無い分だけ、より小型の電動エンジンでも高効率のタグボートによる牽引ができる。水面下50m位を潜航すれば、天候の影響を受けない、高速コンテナ輸送水中トレインのようなものを、専用航路とその管制運行、全天候型の港湾・荷役システムなどを新たな海洋輸送システムとして開発することができるであろう。
 航空輸送は、まだまだ未開拓のテクノロジー分野である。東京?パリ、東京?ニュウヨークなどの大都市間輸送が、3?4時間で行き来できる夢はいつになったら実現するのだろうか。3?4時間といわないでも、マッハ3位の飛行で6時間程度の所要時間でもおおいに助かる。超音速でも衝撃波を発生させない機体デザインの研究がされている。また、亜宇宙飛行のテクノロジー開発は真面目にやる必要がある。ディープスペースの開発は、国威わかくたものであったが、亜宇宙の開発のほうが人類の富と幸福の形成には役立つであろう。
 産業社会の後の、脱産業社会もやはり産業社会なのであって、なにかがらりと変わった
社会が出現するわけでない。それは、第三文明のパラダイムのなかで、人類が生存して行くために必要なインフラはほぼ整っており、ただ一つかけているものがあるのは、環境保全とサステナビリティに関するインフラが全くないことである。

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      3.2. 新しい行動哲学が必要だ (15回)

 

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  第三文明のパラダイムとして、人類が生存して行くために必要なインフラはほぼ整ったと思われた。国民生活を維持するのに必要とされる、食料の生産、上水/下水道網、電気エネルギー供給網、輸送とロジスティクスネットワーク、通信網、金融のシステム、ガバナンスのシステム、アミューズメントとエンターテインメント、鉄鋼・金属・セメント・化学材料・繊維・紙などの生産、等々である。これらのインフラストラクチャを満遍なく整えることによって、富の産出と人々の幸福も得られるものと思われた。そのためには、多大のエネルギーを必要とし、効率の良い化石燃料に群がった。その結果、第3文明は負の遺産として、温室効果ガスの大量放出によって全地球規模における気候変動に直面するようになった。

人類は予測したがる。人類は、予測する行動によって進歩して来た。学理的な知識に基づいて最初に現れたのが、予測のテクノロジーとしての暦であった。第1文明のパラダイムの中で生まれた、最先端のプロトテクノロジーである。線型であって、循環型の現象の観察から始まって、最初に現れたのは地動説であった。古代エジプトにおいて、太陽神を崇める偶然はあったにせよ、太陽中心説に基づく祭礼が行われ、暦が存在した。それとは別に、紀元前280年頃古代ギリシャ時代に、イオニア人アリスタルコスが著した、太陽と5つの惑星の配置と公転、地球の自転についての記述は、プロトテクノロジーの域をはるかに超えて、ほとんど科学と呼ぶべき水準にある。にも拘らず、コペルニクスの出現まで1800年間、地動説はパラダイムとして天動説と並立していたが、有力なパラダイムではなかった。天動説が第2文明のパラダイムであったのに対して、地動説が受容されるには、第3文明のパラダイムが、地動説の周辺のパラダイムとして成熟する必要があったのである。

私は前回、 第三文明のパラダイムを産み出したのは、1800年代に興った産業革命であったことに触れた。産業革命は、機械的動力テクノロジーとしてワットの蒸気機関の発明に起因するというのが、常識のごとくいわれる。しかし、ピーター・F・ドラッカーは、グーテンベルクの活版印刷機の発明をあげる。この印刷テクノロジーを活用した大規模な先端知識と啓蒙思想の集大成である『エンサイクロペディア』の発刊・普及が産業革命をもたらしたと主張する。これは、知識社会のプロトテクノロジーと意味付けてもよいのではなかろうか、と著した。しかし、実用的な知識を広く知らしめる、最古のプロトテクノロジーは『暦』であったと思う。暦は、春分・秋分・夏至・冬至の正確な日取りを教え、祭礼を行うべき日取り、ナイルの洪水が始まる日取り、種を撒く時期、作物を収穫をする時期などの、人々の行動の基準となる知識を提供するツールとして大いに役立っている。

殆どの場合、異なった文明相(第2文明とか第3文明)の中で、古いパラダイムは新しいパラダイムを産み出す苗床となり、新しいプロトテクノロジーを産み出し,新旧のパラダイムは並立し、壮大な成功と壮大な失敗を繰り返しながら、新しい文明相のパラダイムを創り出して行く。そして、新しいパラダイムを産み出す先導的な役割は、必ずテクノロジーの革新が担い手の役割を果たして来た。
 イノベーションとは、技術革新だけに限られるものではなく、社会のあらゆる局面において必要な革新のことをいうとして、技術革新一辺倒をいましめる論調が生まれたのは、つい先頃のことであった。イノベーションよりも、誤った理解のコラボレイションがもてはやされ、その結果、イノベーションに対する動機付けが熱心に行われていない現状が見える。
 かつて15年ほど前に、シリコンバーレイモデルなどともてはやしたイノベーションモデルがあった。テクノロジーのことをよく知らない政治家が、日本の技術レベルは高いなどと自惚れてみせて以来、イノベーションモデルの重要性をすっかり忘れてしまったようだ。

アメリカの技術会社を買収した日本の技術会社の元CEOの話を聞く機会があった。そのアメリカ企業の技術レベルの高さとモティベイションの力強さには驚嘆すべきものがあるという。その会社は、日本のある大手企業の子会社を買収した経験もあり、彼我の格差に驚いていたなぜそうなるのか。
 科学論とか、科学哲学といわれる領域で、真面目に議論されて来たことに、教師のいる開発モデルと、教師のいない開発モデルという課題がある。私の米国駐在の経験でも、シリコンバーレイの住人達は、自ら進んで総発とか、自己組織化の渦の中に飛び込みたがる習性がある。日本人に一番欠けているのは、この哲学のように思う。モチベイションを持続させる哲学が必要なのだ。

かつて評論家馬野周二は、第4文明のパラダイムを多民族性に求めていた。ソ連崩壊の直前であったこともあり、第4文明に最も近い国として、アメリカ合衆国とソ連邦をあげていた。その後の『グローバライゼイション』の波を見れば、多民族性とか国境の厳密性の喪失が第4文明のパラダイムであるとするのは、あながち見当はずれとはいえない。
しらし、第3文明はいくつもの負のパラダイムを残した。第一は、ガバナンスにおける第2文明の強力な残存である、第2文明のパラダイムにおけるガバナンスの特徴は、王朝による専制的支配と覇権主義的傾向にある。プーチン王朝と中国共産党王朝に見られる「黒い猫」の跳梁跋扈は、どう見ても第3文明のパラダイムではない。
第二に、IPCC評価書によれば、産業革命以来、全世界平均CO2濃度は、280ppm から2006年には381ppmに、2015年には397ppmへと増大している。このCO2濃度の上昇を主因とした温度上昇と気候変動をもたらしている。気候変動の恐ろしさは、緑豊かな農地が、毎年つづく旱魃によって耕作放棄地となり、たとえばシリアに見られる大量難民を産み出した。他方、大量降雨、瞬間風速80m/秒を超える暴風を引き起こし、高潮、河川氾濫、土砂崩れなどによって、人類の富を,世界各地で破壊している。そして、これらによって齎される極端な貧富格差は、テロリズムの格好な温床になっている。そして、残念ながら、これらを修復するための基幹テクノロジーはまだまだ幼稚なものばかりて、環境保全とサステナビリティに関するインフラが殆どないことである。

今年のCOP21は希望の片鱗をのぞかせているが、先進国と途上国のギャップを埋める新しい行動哲学を、第4文明のパラダイムとして構築することが必要だ。

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3.3.モティベーション  (16回)2016年号      

 

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   行動哲学とは、最近はやりの言葉でいえば、モティベーションが高いか・低いかということである。暮れに、あるハイテク中堅企業のトップにあったら、役員や部課長のモティベーションが低いことを嘆いていた。日本企業のモティベーションの低さを憂いていた私は、やはりそうかという想いが強かった。
 20年も前のことであるが、「イノベーシ ンとはテクノロジーのイノベーションではない。経営全体のイノベーションが必要なのだ。」ということが強調されるようになった。そのコンセプトを提供してくれたのは、ドラッカーであったが、長引くデフレの中で、日本企業の殆どが、マーケティングリスクを読み違えて、テクノロジーリスクの高い技術のイノベーションを一斉に減速させ、開発投資を縮小させた。長引くデフレの中で、縮小傾向の市場というパイの争奪戦が興る。企業は営業利益を維持するために、売上高の維持と、コスト低減に猛烈なプレッシャーをかける。当年度の業績維持が至難と思われる中で、上がった企業努力のリターンは、投資に活用されずに、内部留保に留められて来た。そうして20年間、短期にリターンのあるものは許されても、テクノロジーリスクへの挑戦は、ほぼ禁止状態にあった。こうゆう経営環境の中では、中間管理職のモティベーションを高める指導を受けること無く20年過ごし、その中から選ばれて、現社長になった人達には、業績責任は追及されるが、イノベーションを推進したり、モティベーションを高める経験が無い。イノベーションを行う組織には、通常の組織と同じ評価基準を当てはめてはならない。その方法を知らないトップに、どうして若手のモティベーションを高めることができるのだろう。

@@ドラッカーに『イノベーションと起業家精神』(1995、邦訳1997)という著作がある。
その中で、「イノベーションの七つの機会」という章を設け、七つのモードのイノベーションの条件をあげ、それぞれにおける動機づけを論じている。イノベーションのために活用できる七つの機会として;

第1が、予期しない出来事が起こること。

第2が、ギャップがあること。現実にあるものとあるべきものとのギャップ。

第3が、ニーズがあること。

第4が、産業構造の変化が生じること。

第5が、人口構造の変化。

第6が、認識の変化。

第7が、新しい知識の出現。

   

をあげている。この中で、新しい知識とは、テクノロジーやサイエンスに限らないことを指摘する。このとき、多くの人々が,テクノロジーイノベーションの重要な価値にいささかの変化がある訳でもないのに、デフレで経営が苦しいことにかこつけて、勝手に、「テクノロジーはそんなに重要ではない」思い込み、減価してしまった。 ところが、シリコンバーレイに行って見ると、モティベーションの高さと、テクノロジーの先見性で熱気に溢れているらしい。
テクノロジー開発、テクノロジーによるイノベーションには、リードタイムが必要だ。@@@@

産業革命を起こさせるようなインパクトのあるテクノロジーは、最早出現しないとするモティベーションの低さと、テクノロジーポテンシャルの低さが蔓延している。しかし、先進性の高い目標に挑戦するには、その度合いに応じたマーケティングリスクとテクノロジーリスクを克服できる可能性と機会を見極め、トップに説明し、支持を得なければならない。相当高いモティベーションを、長期間維持できる強情張りがいないと、プロジェクトの一つも実現しない。
 モティベーションとは動機づけることをいう。イノベーションに対する意欲が高い状態に、自分自身によって、もしくは周囲から動機づけられていて、「目的、目標がはっきりしていることに加えて、どうしたら実現できるかについての知識に、開発すべきものが多々あることを知っており、それでも自信があり、やる気満々であることをいう。」。
 私は、これらの核心になるものを行動哲学と呼びたい。哲学というと、日本人は何も聞かないうちから、現実から遊離した形而上のことで、ビジネスマンやテクノロジストにとって何の役にもたたないこととして避けてしまう人が多い。日本の採用口頭試問で、「あなたのPhilosophyはなんですか」と聞かれることは殆どないと聞く。しかし、ドイツのマイスター試験の口頭試問や、アメリカの採用面接で最も多いのは、この「あなたのPhilosophyはなんですか」という質問なのだそうだ。私もアメリカ在勤中、顧問弁護士から教わって、約50人の候補に同じ質問をしたところ、彼等は、各人各様、実に堂々と、真面目に、身近な問題として応えてくれたものである。駄目な奴は、そのモティベーションの低さが直ぐに解る。
 イノベーションのうちで、金と時間がかかるのがテクノロジーのイノベーションであり、その目的、目標の設定には、慎重さと決断力が必要になるが、他の機会に比べると、見通し・見極め・予測がし易い分野であり、成功したときの果実も大きい。

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3.4.イノベーション 第8の機会その1 (17回)

      

 

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前回、イノベーションのために活用できる七つの機会についてふれた。私は、第8の機会というものを考えても良いと思う。それは、第1の「予期せぬできごと」であり、第2の「ギャップがあること」でもあり、第3から第7にいたるどの機会にもあてはまるようにも見えるものである。それが何かと言えば、地球環境の変化・気候変動である。

2015年12月、2020年で失効する京都議定書以降の新たな枠組みとして、全196ケ 国が参加するパリ協定が全参加国の合意により採択された。大変結構なことであるが、 ワクワク心躍るものがない。

  

地球環境問題や気候変動への対応には、宇宙ステーションのように、ワクワクと心躍らされるものがない。宇宙ステーションや宇宙開発にはメリットがあまりなさそうであるのに、夢がある。わが国の場合、ミサイルを造って輸出するわけではないので、せいぜい、人工衛星打ち上げビジネス機会と宇宙ステーションへの補給物資の輸送(こうのとり)位で、あとは技術力のデモンストレーションにしかならない。それでも,人々は、そして子供たちは喜々としてTVのロケット打ち上げシーンや宇宙飛行士とのインタビュウに見入っている。  NASAやJAXAの活動は宇宙ステーションや宇宙ロケットだけではない。航空機、航空輸送も大きな開発課題であり、この分野は、実は、大変な成長市場なのである。現在、世界の産業のテクノロジーフロンティアは、自動車産業を核にして発展している。自動車産業が後退するとは言わないが、テクノロジーフロンティアの役割は、15年以内に、航空産業にシフトするだろう。見方によっては、もうシフトは始まっている。生産台数こそ自動車産業には遠く及ばないが、自動車に加えて、鉄道、船舶、そして航空機などによって形成されている輸送機器産業、輸送システム市場の成長性は非常に高い。右肩上がりに成長する市場・産業を上手に育て、経済発展へ導かないと、世界の繁栄はあり得ない。

JAXA(宇宙航空研究開発機構)がやっているのは、宇宙だけではない。航空環境、航空安全にかかわる研究開発プログラムのほか、航空新分野創造プログラムなどが行われている。

なかには、液体水素を燃料とするターボジェットエンジンを搭載して、東京?ロスアンジェルス間を2時間(マッハ5)で運行可能とする極超音速旅客機プロジェクトなどというものがある。私は1970年代から、計測器メーカーの人間として、数多くのプロジェクトにかかわり、実験/実証実験のお手伝いをした。1975年には極超音速風洞の実験が始まっていた。当時は、空対空ミサイル機体の空力特性を調べるための、ペンシルロケットサイズのモデルを使っての実験用風洞を使ってのものであった。2014年には、極超音速旅客機用のエンジンをマッハ4で飛行している条件での実験に成功している。この40年間の努力と成果は大変なものである。

  

の部品総数が1台あたり10万個以下であるのに対して、航空機の場合、1機あたり100万個をこえるマッハ5クォリティの強度、精度の部品が必要になる。100万個をこえるマッハ5クォリティの強度、耐久性、精度の部品を新たに開発するのに、仮に1個当り1人・年(一人で一年掛り)の専門家の工数が必要だとすると、部品を開発するだけで100万人・年の総工数が必要なことを意味する。ワクワク心躍らされる原因はこの辺にありそうである。実際には、たとえば何かの耐熱部品を造るには、新しい耐熱材料が必要になり、その材料に合わせた加工技術、新しい専用設備の開発を行わなければならない。たとえば、螺子(ねじ)一本から、そういうアプローチが必要になる。非常に大きな、底辺の広いテクノロジーピラミッドを開発することを意味する。各方面の専門企業のプロジェクトへの協力・参加を加えると、数百万人・年の工数が投入されることである。これらの人々は高いモティベーションと技術力をもったいろいろな分野の新しいテクノロジストの集団になる。

成功した近代産業のいくつものセグメントでは、所定の年月をかけて、テクノロジーリスクとマーケティングリスクを克服して、新しいテクノロジー集合を開発して来た。このアプローチを推進するのは、まだこの世にない知識と「もの」をつくり出して行くという、創造的プロセスをいかにマネジするかということである。それは、まこと、いかに人々、ひいては社会に、高いモティベーションを持ち続けさせるかにある。モティベーションを行動哲学として組織化するという、企業や研究開発機関のマネジメントの課題でもある。

  

モティベーションは,与えることはできない。自発的なボトムアップによって獲得して行くもので、与えられたモティベーションなどというものは存在しない。それに対して、マネジメントとはトップダウンのものである。しかも、マネジメントは、トップダウンでありながら、若手の自由で無責任・勝手な心を捉えることができなければ、トップダウンは企業として実行力の伴わないものになる。

自動車産業や航空機産業のように、発展する産業は必ずフロントラインのテクノロジーが必要で、商品開発に成功するには、常に最先端のテクノロジーリスクとマーケティングリスクを克服して、新しいテクノロジー集合の商品を開発して来た。そのため社長は最先端テクノロジーを良く知る人物であることが必要である。

  

1979年、ハーバード大学の教授であったエズラ・ヴォーゲルによって“ジャパンアズナンバーワン”が書かれたアメリカでは非常な危機意識が広がっていた。1980年代に入ると、MITには、米国籍の学生のみを受入れ、2年間でMS(理系修士)とMBA(経営学修士)を同時に修得させるコースを新設した。トーマス・マグナンティ教授のもとに、全学が協力して、夏休みも冬休みもない、連日午後7時までの特訓コースがつくられた。さすがに米国籍以外の学生も受入れるようになり、現在も継続されていて、何人もの大企業のCEOを輩出している。先端テクノロジーが必要な企業のトップは、自ら先端テクノロジーの分野で実績をあげたテクノロジストでなければ勤まらないということである。

  

こういう局面に立つ社長は何をしたらよいかを次回以降に考えたい。

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3.5.イノベーション 第8の機会 その2 (18回)

      

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イノベーションの第8の機会は「気候変動への対応」であることを、前回述べた。

 

人類は、地球上の資源を収奪しながら、自らの人口を増やして来た。紀元前8000年頃、農業革命が興った頃の世界人口は、人類の発生以来何万年もかけて、ようやく約1億人であったとされる。農業革命以後、人口増加率は高まり、産業革命の始まった18世紀末の人口は約10億人に達した。産業革命以後、わずか200年で、世界人口はあっさりと70億を超えてしまった。それと同時に、地球資源の収奪は、指数関数的に増大し、食料危機は地域格差をもたらし、エネルギーの多消費は化石燃料への集中的多消費を産み、その結果、地球温暖化ガスの排出というストレスが文字通りの大規模気候変動をもたらした。
そのほか、重金属などの産業廃棄物によってさらなるストレスを加え、人類の生存を維持するために必要な、気候変動の抑制と産業・経済の持続的発展を危うくするに至っている。 
 しかし、一度産業社会を経験して、人口をここまで増大させてしまった人類は、エネルギーの多消費、食料の多消費を止めることは不可能である。
 そこで生まれたのが、持続可能な経済・社会の発展(sustainable development)に移行しようという考えである。エネルギーや食料の無駄な消費を減らし(loss reduction)、取り返しの効かない危機的損失(damage)の絶滅を目指そうという試みである。先頃パリで開かれたCOP21(第21回気候変動枠組条約締約国会議)もそのための努力である。
そのパリ協定は、2020年以降の地球温暖化対策を定めている。1997年に採択された京都議定書以来、18年ぶりとなる気候変動に関する国際的枠組みであり、気候変動枠組条約に加盟する全196カ国全てが参加する枠組みとしては世界初である。
 にもかかわらず、全体として政治的妥協に終始している観が強い。そのなかで、日本などの主張でイノベーションの重要性が認められたことは、大きな前進と言えようか。
 しかし、COP21が終わった途端、熱がさめたようになっている。まだまだ理念的な綺麗ごとにしか見えないのは、具体的な目的と目標の提示が無いことことに由来する。この種のことは政府主導ではできないのであろうか。

たとえば、国は、1970年代後半頃から水素社会のシナリオを練ってきた。豊富な副生水素(石油精製や製鉄用コークス生産によって副次的に生成される水素)と水素製造設備の余剰能力をベースに、このシナリオは描かれていたらしい。しかし、シナリオ通りには進みそうにない状況にある。誰が考えたのかはっきりしないが、水素自動車や水素燃料電池車の普及台数を、2025年に200万台に到達させるという予測がある。ところが、200万台に達すると、日本国内の水素生産能力だけでは賄いきれないという説が浮上している。
 人々は、水素と聴けば、燃やしてもCO2 を排出せず、地球上に無尽蔵にある水資源の利用で、大変結構なことだと思いがちであるが、水から水素を分離する電気分解には大量の電力を必要とし、その電力を得るために化石燃料を燃やし続けることになれば、CO2 排出量とエネルギー効率面、コスト効率面で、目的と結果が逆転してしまう。

理想的な、化石燃料に頼らない自然エネルギーからの発電(太陽光発電や人工光合成)によって、水の電気分解から水素を生成、エネルギー媒体として貯蔵し、燃料電池や水素ガスタービンを使って発電し電気を取り出すというエネルギーの循環構想がある。しかし、これには非常に数多くの未解決のテクノロジーの壁とコスト・効率の壁、自然法則の壁を乗り越える必要があり、容易に越えることが困難であろうことも知られている。
 しかし、そういう中でこそ、二国間、三国間などの連携から始めて、「水素社会特区」実現のプロジェクトを、イノベーションによる国威発揚への挑戦からから着手して、「水素循環社会」へ向って始動するべきだと思う。かつて、冷戦下において、ケネディ大統領がNASAをつくり、月面着陸を目標に定めたように、NASAやJAXSAのような「水素社会特区推進機構」を一日も早くスタートさせ、できることから始めるべきであろう。燃料電池車が成長戦略に取り上げられていることは知っている。それならば、燃料電池車を梃子にして、20XX年までに特区内を走行する全自動車を燃料電池車に限定する。たとえば、最もCO2負荷の大きい首都圏(一都三?六県)を特区とし、この地域に入る全貨物自動車、バスなどの大型車輛から燃料電池車もしくは水素自動車に限定することから始めて、漸次一般車へも波及させるのが良い。水素燃料、燃料電池駆動の貨物自動車開発の歴史は、一般車より古く、実績もあり、トレーラーやコンテナの標準化は進展しており、往年に蒸気機関車と電気機関車の付け替えをやったように、高速道路沿いに牽引車付け替えヤードを設けるなどして、便宜を図ることもできよう。

当面、副生水素に依存するにしても、この地域の供給能力は高い。水素生産に伴って生ずるCO2を液化して、地中深く埋蔵するテクノロジーの開発と立地は、原子炉の最終廃棄物処理に比して、十分な見通しも立つ。
 必要なことは、運用や生産のためのシステムデザインを集積し、グランドデザインを描きあげるために知識を集積し、リードすることである。そのために、アイデアを創出し、評価し、設計を推進するセンターとして一日も早く創ることであろう。

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3.6.イノベーション 第8の機会 その3 (19回)

      

キャリア・コンサルタント協同組合 風 巻  融

言語の曖昧定義  ガラケーなどと言っているのは、日本語の混乱、醜悪化、劣化以外の何ものでもない。 通信工学、情報工学、品質管理において禁じられていることが、言葉や記号やオブジェクトに対する曖昧定義、欠落定義(意図的無定義を含む)、誤定義、うっかりミスの混入である。それ等が品質の劣化を招き、新しいものを、先進的なテクノロジーを産み出す最大の障害だからである。社会に広くそういう障害を見逃す傾向が蔓延すると、ただ見せかけ生き生きしていれば良いとか、面白ければ良いとかで、安易に褒めそやすような傾向が広がる。これは。テクノロジーの発展だけでなく、社会の進化にも決してプラスにはならない。 NHKの午前の番組「あさイチ」は「朝市」(朝早くに立つ市場)なのか、「朝一」(朝一番のトピックス)にちなんだものなのか。番組では「あさイチ」と平仮名と片仮名との合成表記がされていて、わざと両者にちなんだように見せかける、思わせぶりを感じるが、いずれにせよ8時15分の開始は遅い朝である。「朝市」や「朝一番」のもつ緊張感とも無縁の、間抜けた朝の感じが強い。日本語の朝と英語のmorningとは時間帯の概念や感覚が違うのである。日本語の伝統からすれば「あさいち」は朝市場である。朝一番とする用法は、きわめて近年のものである。「朝市場のような」という比喩的表現に使われるように、新鮮で多様な、豊かな商品が出品されているイメージを出したいなら、直裁なアプローチをとるべきである。「朝一番」を狙うなら、これもその方が良い。  私の願いは、日本語を粗末に扱わないで欲しいということなのだ。番組の意図が「ちょっと遅い朝一番の話題」であって、いそがしいスタッフ達が、短縮形を好むなら、繰り返しその主旨を視聴者に訴える必要がある。こういうおかしな短縮形は、近年日本に流行っている怪しげな日本語であることを、外国人にも良く解るように説明しておくべきである。 もう一つ、もっと劣悪なのは「ニュースしぶ5時」である。制作者の意図としたら「渋谷発 5時のトピックス」とでもいう巾広いコンテンツを、今流に短い、パンチの効いたタイトルで表わしたかったのだろう。「ニュースしぶ5時」につずいて、「首都圏ネット」、「ニュース7」、「特報首都圏」と報道系の番組が目白押しに3時間も続くので、それぞれの特色を出すのに大変だろう。「あさイチ」にせよ「しぶ5時」にせよ、なんらかの正確な表題として考案された番組を、合成語の短縮形で表わしたものである。かつ、それ等が人工のシンボリック言語と同じ用法で使われていることが問題なのだ。「しぶ」も「5時」も、ここではシンボルである。  まず第一に、渋谷を「しぶ」とすることを許す、日本語の省略則はない。渋谷は、平安末期以来の武将渋谷氏の領地として繁栄した地域の名称で、歴史的にも意義深い地名である。このような地名、固有名詞は省略しないとする、日本語の一般則に反する。でなければ「しぶ」は、柿の渋の「しぶ」であろうか。そうでもなさそうである。やはり渋谷であり、渋谷発の意味合いなのであろう。実体は渋谷の放送センター編集を表わした内容に思える。地方局取材や外国メディアをソースとしたコンテンツは多彩で面白い。「当年、当月、当日の午後5時までに集めた世界のトピックス」を表わし、さらに渋谷文化と良くいわれるパラダイムに便乗しようという魂胆があるとすれば、お粗末というほかない。 2000年代初頭を飾ったブログをはじめ、2013年に始まったSNS上にFacebookやLINEやYoutubeがパソコンに限らず携帯電話でも使えるようになると、文字数をへらす目的で、省略形のシンボルの多用化が急速に進み、新世代の日本語の誤用や乱れが目立つようになった。正確で美しい日本語の形成に逆行する流れが勢いを増している。 シンボリック言語  人工のシンボリック言語はIT技術の登場とともに生まれた。人間の意志をコンピュータに知らせるプログラミング言語として人工言語ツールが考案された。これがなければ、ユーザーは01101101110のような2進のコードの機械語命令を、スィッチレジスターで1語ずつプログラミングしなければならない。このadd、subtract、move、jumpなどを始めとする機械語命令は、機種によって異なるものが20から200位用意されている。当初、3文字のシンボルで表記し、これを機械語命令(01101101110)に変換する人工言語処理プログラムがつくられた。このとき、ADD、SUB、MOV、JMPなどとシンボル記号によって表記された。人工のツール、シンボリック言語は数多く考案され、大学教育において文系の学生にも履修させた。統計、金融工学、マクロ経済、複雑系などにおいては、高度の人工言語、ツールの修得は必須である。賢い学生は、シミュレータや計算ツールを自作して研究するようになった。成功したもの達は、人工言語においてシンボル化を行うとき、文法上の幾つもの準則があって、それを無視した成功がないことに、いち早く気がつき、実行した者達であった。むかしの私の失敗談であるが、ある装置の制御・実行プログラムを生成する開発環境を開発した時のことである。OSから、言語にいたるまで、ハードウェアまで含め、25億円という、かなり大掛かりのものであった。そこで、ファイル生成(FileGneration)のためのOSカマンドにFというシンボルをあてた。アメリカで売るべく、先行販売を始めたところ、これはGにしてくれという。作業オブジェクトは生成(Generation)にあるのだからGでなければならない、というのである。Gにしなければ、アメリカには売れないと言われ、青くなったことがある。これは一人良がりの誤った省略形の例である。外国語との合成語や省略形の仕様には、厳密に正確性を追求することが必要である。 片仮名外国語  日本では、明治初期に国語という言葉が登場する。国語は、和製漢語で、中国語にも英語にもない言葉であり、概念であった。現在も、日本語という教科はなく、国語という教科がある。このような例は,世界的に極めて珍しい。わが国においては、国語学会が廃止され日本語学会がつくられているのに、国語という教科は健在である。明治以後、英語、仏語、独語などによって書かれた文献が大量に輸入された。近代合理主義に基づく新しい知識に満ちたこれらの文献を日本語に翻訳する必要に迫られた。英語を日本語に翻訳するにしても、英単語に相当する日本語概念がない状態からの出発であった。Locomotiveを機関車、Trainを列車と翻訳することは、それ等の日本語概念を、漢字を用いて創出することでもあった。漢字を用いてうまい日本語概念をつくれないとき、その単語の表現に近い片仮名表記を用いた。  無知や間違いによる混乱は厄介な問題である。かつて漢語の導入時に生じた間違いや曖昧さによってもたらされたときの混乱を数世紀をかけて克服して来た。 表意文字である漢字による合成語則、省略法則を作り上げて来た。英語のようなフォネティック言語とは違う。フォネティック言語にはフォネティック言語固有の合成語則、省略語則がある。省略語は必ずシンボリックな意味で用いられる。  言語は意志の伝達手段であるとともに、物事の認識手段でもある。誤訳による間違いを根絶し、認識手段としての言語表現の精度をあげるため、片仮名による表記をやめ、英語はそのまま英単語のスペルで行うようにしたらどうか。 片仮名外国語  同僚や部下の誤りと失敗の例であるが、英語のできない奴ほど、一度間違って覚えた英語に思い入れが強く、軌道修正が利かない日本人が多い。  まず、realtimeを実時間と訳すのは誤りである。Realtimeは、コンピュータのbatch処理に対して、on-line realtime処理をいうときに使われる特定の技術用語である。野球用語にon the flyというのがある。「フライに乗って」とでも訳せ、placement change on the flyなどと使われ、 攻撃側がヒット性のフライを打つと、全野手が次のモーションのに備えて位置取りを変える。その様は迅速で、きびきびとして気持のよいものである。アメリカ人は、このon the flyを技術用語にしてしまった。IEEEのTest Technology Committeeは、「on the fly timing control」正式の技術用語として採用している。on the flyの意味を知らない、そしてrealtimeを実際の時間と誤っていたわが同僚は、得意になって、「realtime timing control」としてしまった。私の助言を無視し、ご丁寧に、電気学会半導体試験技術調査委員会のお墨付きを貰って、日本半導体製造装置協会の技術用語集に掲載してしまった。改訂の計画はさらさら無く、この30年間、世界に恥を曝している。 また、生産工学、制御工学などで良く使われるものに、ターンアラウンドがある。これは英語のturn-a-roundに相当し、turn aroundは、この場合誤りである。Roundは、例えばボクシングの試合におけるラウンドと同義であり、時間を内包した言葉なので、ターンアラウンドタイムとはいわない。ターンアラウンドをturn aroundと勘違いした、極めて多くの日本人は、ターンアラウンドタイムという言葉を、著名な学会発表などで乱発して来た。1970年代では、日本人の「ターンアラウンドタイム」は顰蹙を買っていた。半導体の不純物拡散工程は非常に大切な工程で、その1ラウンドの所要時間は自然法則で先験的にに決まるものなのである。ボクシングの1ラウンドは、国際ルールで先験的に決められている。すなわちラウンドの概念には先験的に決められた時間が内包されている。その上、「タイム」を付けたら何を言っているのか、訳の解らない話になる。Aroundとか、ロウンドという言葉の周辺には落し穴が一杯ある。万能プレイヤーを意味するオールラウンドはall around の間違いである。  アカデミーフランセーズの役割は、フランス語を規則的で誰にでも理解可能な言語に純化し、統一することであり、その目的を達成するために辞書と文法書の編纂を重要な任務としていた。 太平洋戦争後、日本語には、標準語政策を担当する機関がなくなったため、標準語がない。現在の日本には標準語を定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式には標準語は存在しない。「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「標準語」が「共通語」に言い換えられるようになった。  日本語の混乱を救うには。NGO現代日本語アカデミーのようなものが、権威を持ってあたるようになるべきだ。

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