キャリア・コンサルタント協同組合 風 巻 融
第2文明のパラダイムを創り出したのは、効果的な食料生産を可能にする灌漑農業のプロトテクノロジーの発明・出現であった。
この第2文明のパラダイムは、19世紀におこった近代産業テクノロジーの革新、産業資本主義、合理主義、近代民主主義の潮流などを特徴とする第3文明のパラダイムへと、大規模なシフトを起こした。第3文明のパラダイムのなかで、第4文明のパラダイムとなるべきプロトテクノロジーが始まっている。
パラダイムとは、支配的な/特長的な一般理論、枠組み、方法論、規範、模範を意味することばであるが、アメリカの科学史家トーマス・クーンが『科学革命の構造』(1962)という著書で、科学史、科学哲学上の特定概念として提唱したことから、パラダイム、パラダイムシフトについて広く論議が起こるとともに、クーンの提唱を拡大して広く用いられるようになったことばである。もともとは「天動説のパラダイムから、地動説のパラダイムへのシフト」のような、考え方の転換が引き起こす科学的認識の変化のことであった。トーマス・クーンは科学史の専門家として、ハーバード大学、UCバークレイ、プリンストン大学、MITなどの教授を務め、全米科学史学会会長も務めている。
クーンは自身の意に反する理解と、あらぬ議論に巻き込まれたため、のちにパラダイムの提唱を撤回し、新しくdisciplinary matrix という再定式化概念を提唱した。これまた厄介な概念で、日本では「専門母型」、「専門図式」などの訳語があてられている。科学やテクノロジーの世界では、discipline/disciplinary は専門領域を意味し、最近では、自然科学に限らず、全ての学術的研究開発の世界で専門領域の意味に用いられる。さらには、科学技術政策論や行政機関でも、専門領域の意味に用いられている。
そういう点では、ディシプリンは、クーンの意には沿わないであろうが、専門領域という意味の一般的なパラダイムに含めて差し支えないと思う。
ディシプリンに対してマトリクスは一筋縄では行かない。ラテン語のmater + ixに由来する英語matrixで、ラテン語materは子宮とか母を意味し、産み出すもの、産み出す機能とされる。 医学、生物学、生化学、場合によっては化学の世界では、なんの躊躇いもなく、産み出す機能の意味に用いられる。基盤、基質などの訳語が当てられることもあるが普及していない。 ましてや、子宮体や母体と訳されることもあったが、採用されることはなかった。材料学の分野で、複合材料の「母材」などと呼ばれている。
田中耕一が2002年ノーベル化学賞を受賞した質量分析テクノロジーにおける「マトリクス支援レーザー脱離イオン化法」は、生化学系などの、レーザー照射によって損傷を受け易い分析試料と、レーザー照射によって瞬時にイオン化が行われるマトリクスとの混合物(混晶と呼ばれる)をつくり、試料共々一気にイオン化して試料の脱離イオンを得ている。この脱離イオンの飛行時間(time of flight)を測定して、試料の質量(原子量)を知る方法であるが、ここでマトリクスは脱離イオンを産み出す母材の意味である。
電子工学や通信工学やオーディオ工学、コンピュータ工学(科学ともいわれる)の領域では、かなり異なったマトリクス像をもって対象が捉えられる。カラー液晶ディスプレイのRGB信号の駆動マトリクスとか、FMステレオ、ドルビーサラウンドなど多チャンネルデジタル通信の信号合成、分離、記録、再生における演算処理マトリクスとか、もっと一般化して線形代数における行列処理マトリクスなど、バーチャルな実質的空間で擬似的リアルを産み出すテクノロジー開発のマトリクス像/時間・空間像としてとらえられる。サイバースペースを新しいテクノロジーを産み出すマトリクスとして体験し始めたことである。これこそ、第3文明が第4文明へ進化するためのプロトテクノロジーの出現である。
1964年に初めて訪米した私は、日米の大勢の方にいろいろ教えられているあいだに、コンピュータ用のディスプレイ装置に興味をもった。
コンピュータテクノロジーと通信テクノロジーと半導体デバイステクノロジーとの、クロスディシプリナリに密接な関係は、すでに1970年代初頭に始まっていた。パソコン用のシングルチップ半導体デバイスの見通しが立ち、1981年には32bit シングルチップの量産が始まった。この時期、日本の電子産業は、同時期に始まったイーサーネット、USB、デジタルオーディオ、デジタルTV(HDTV)、CG、インターネットのラウーター、UNIXワークステーションなどのエンジン、携帯電話用のSoSなどの電子産業の発展するセグメントの全てで、後塵を拝する立場に転落してしまった。それは、コンピュータテクノロジーと通信テクノロジーと半導体デバイステクノロジーとの、クロスディシプリナリに密接な関係性そのものを、バーチャルな実質的空間でリアルを産み出すテクノロジー開発のマトリクス像/時間・空間像としての戦略構築に失敗したからだと思う。アメリカでは、国防省主導で行われたDARPAnet(のちのインターネット)を始めとして、イーサーネット、JPEG/MEPG、UNIXなど、いくつものコンソーシアムが立ち上がり、その結果、いくつもの強力なデファクト標準ができあがっていた。クーンのいう「disciplinary matrix」であり、パラダイムシフトを起こす動きであったが、日本勢は、そのどの一つにも貢献していなかった。ハイビジョンやデジタルTVやデジタル携帯電話についても、のちにガラパゴス化と揶揄されることになった。
私見であるが、ガラパゴス化への落し穴に嵌ったのは、1970年にIBM社が発表したシステム360からシステム370への移行にあたって、同時にベールを脱いだ『バーチャルメモリ』を『仮想メモリ』とした大変な誤訳に端を発するように思う。
S370は、主記憶に半導体デバイスを採用すると同時に、磁気テープ装置を廃止して大容量のDASD(Digital Access Storage Device)と自称するディスク装置と組み合わせて、32bitのCPUでありながらプログラムからアクセスできるメモリー空間を無限大にまで拡大した。今日、パソコンに至るまでのあらゆるコンピュータシステムに適用されている、新しいコンセプトの確立であった。同時に、S360に群がっていたプラグコンパティブルの磁気テープ装置メーカーの浸食を排除してしまった。
問題は、本来「実質の」という意味の「バーチャル」を「仮想の」、「疑似の」と訳したことにある。「バーチャルメモリ」「バーチャルシステム」「バーチャルネットワーク」などについては、コンピュータシステム内の複数の物理リソース(複数のDASD装置群やサーバ群、ラウター群)を単一の論理リソースに見せかける」という実用的定義に依拠していた。IFIPやIEEEの多数の論文に見られる。専門家は正しく使っていたように思う。
日本では、S370の登場で、バーチャルということばが、にわかにビジネス界を始め、市民のあいだに登場した。誰が訳したか定かでないが、「仮想記憶」という漢字/漢語翻訳された外来語が颯爽と登場した。なんだか良く解らないが、新しくてかっこう良く見えた。「仮想化」や「仮想現実」などという誤ったシステム概念まで登場した。後日、廃止された国語審議会の受皿となった国語研究所(独法)の外来語委員会が、いろいろ提唱したが、あとの祭となってしまった。誤訳に基づいたICT関連の教科書や解説書、論文で勉強した若者たちはいい迷惑である。
最近は、この種のシステム的に新しい理念を含む外来語は、無理をして訳語をつけず、片仮名表記にする傾向、もとの外来語の大文字省略表記(たとえばCG、ICT)が流行る傾向にある。
すくなくとも、ICTの分野で、英語のvirtualは「表現上は違うことがあるが実質そのものである状態」で、一般の辞書にある通り「実質上の」と訳されるのが正しい。しかし、ICTの世界における「サイバー空間上のマトリクスの理念に立脚した実質」という意味合いは、このようにいくら訳語を工夫しても発散するだけである。
なぜなら、このような言語の用法が、第4文明のパラダイムを代表するものの一つだからであり、そのテクノロジーが、まさに高度に集約された第3文明のパラダイムの中でのみ生まれでた人工的なマトリクスとの共生だからである。人工的な言語、工学的な空間によってつくられたICTについての巾広い教養を、普通の人々が身に着けるまでは、繰り返し起こることであろう。日本語は、文明開化以後、ヨーロッパ生れの新しい学問や概念を、必死になって漢字/漢語を用いて翻訳し、学習した。しかし、第4文明のパラダイムに属する新しいパラダイムが現れ始めると、漢字/漢語が表現の限界を超えたテクノロジーの発明や科学上の発見が現れている。
巾広い教養は、同時に、高度な専門的教養の入口でもある。MITには、修士課程の2年間にMSとMBAを同時に取得させるコースを1980年代初頭から設けている。夏休み、冬休み、春休みなしという猛烈なコースで、技術系企業の経営者の候補たるべき人材の育成に務めている。CGなどのサイバー空間上のマトリクスに関わるテクノロジーを専攻したい者は、高校で線形代数の基礎を選択履修していなければ、受験資格が与えられない。わが国で、理T類に合格した多数の学生が、物理を履修していなかったという事件が起きて、入学後に物理の補習を行ったりしているのとは大変な違いがある。ガラパゴス化はこういう環境から生まれたとみるべきである。