キャリア・コンサルタント協同組合 風 巻 融
人類は、最初から頭脳を使って労働した。肉体労働を行っている時でも、彼の頭脳を使い、知識を動員していた。その過程で、頭能は類似と差異を発見する知覚力として働き、模倣の知恵を働かせた。乳児が最初に知覚するのは、多くの雑音の中に混じった母親の声であるという。
知識労働は、頭脳だけを使う労働であると誤解している人は数多い。これは、ちょっとした落し穴で、高度知識を駆使する知識労働では、筋肉や骨格を用いた肉体労働を軽視し易いからであろう。しかし、例えば、高度医療テクノロジーの一つである外科手術は、入念な術前カンファレンスにおいて設計されたプロセスに基づいて、執刀医(surgeon)とそのスタッフ達の、知識と連動し、訓練された技(進歩した道具を使う肉体労働)を駆使したチームワークによって行われる。ときには、10時間を越えることもある、立ったままの作業である。最近は、内科医(doctor)も物理的・機械的に進歩した道具を用いた治療を行う。
例えば、カテーテルという細長い管を、患者の右手首の動脈から、心臓の冠動脈まで挿入し、さらにその管をとおして、ステントとよばれる小さな金属管を挿入し、その管にゴム風船のようなものを入れ、25気圧、15秒間というような高気圧で膨らませてステントを内側から拡張させて、冠動脈の詰まった部位を整形・修復・留置したり、その留置されたステントを保持部品として光学的道具を固定して、エキシマレーザーによって、詰まっているプラークを溶融・除去したりする。この治療は、心臓外科ではなく循環器内科で行われる。別にもう1本のカテーテルを静脈に挿入し、血管拡張剤やX線造影剤などの注入を行う。ステント治療の一連の操作は、約2時間にわたって、微弱な照射量に制御されているとはいえ、心臓とその周辺の胸部に向けて照射されるX線環境のもとで行われ、高感度のX線画像モニターを観ながら行われる。患者と医師、助手、看護士など複数名は、X線被曝というリスク環境における肉体労働を行っていることになる。他方、治療は、道具を用いて、機械工学的、物理工学的方法で、医工学的に行われる、高度技能の肉体労働でもある。
これはすなわち、テクノロジーの本質を示しているものと言えよう。この事例は、医療テクノロジー(Medicare Technology)に関するものであったが、全てのテクノロジーの領域で同様なことが見られる。
テクノロジーとは、継続的再利用を目的として、蓄積された知識と、知識と連動した技巧とを用いて、新しい目的物を発明する知識と技巧の集積行為なのである。
テクノロジーは、一度以上、実際に制作しなければ、確認ができない。造ってみなければわからないのである。このことは、非常に重要なことであり、秘伝の技が大切にされて來た理由でもある。火以外の、最も古い道具であった礫成石器は、人が造ったものではなかった。植物を刈って、それを束ねて住居や船を造るために、刈り取り道具として使われたのは、欠けた貝殻であった。その欠損部が鋭利な刃物として役立つことを発見していた人類は、自然に生じた石の礫成が刃物の形状に似ていることを発見した。人類の歴史の中には、共同体が進化して、都市の原型のような村落が産まれる以前の、したがって文明以前の段階に、プリテクノロジーとして現れるものがある。礫成石器は、人類の歴史の中で、類似物の発見という貴重な体験であり、プロトテクノロジーというテクノロジーの原型を創り出す基礎と成っている。
また、現代においても、類似物の探索・発見は、テクノロジー開発の重要なアプローチである。リバースエンジニアリングと呼んで、コンペティタが開発したテクノロジーの、アイデア・着想の狙いや着想の産まれたプロセスを逆に辿って解明するときに欠かせないのが、この類似物・類似技術要素の探索である。新材料、新ツール、新方式の長所、短所の探索も含まれる。
テクノロジーの始まりは、このリバースエンジニアリングという労働の始まりであったといえる。知っている知識を総動員して、知らないことを弁別し、新しい知識のアイデアを模索し、新しい道具を考案し、試作し、実験し、検証するという、PDCAと同一のプロセスと看做して良い。企業における開発マネジメントの大切な姿勢である。
人類の歴史のなかで、エネルギーの新しい利用形態が現れる時期があった。労働が、人力だけを頼りに行われていた時期から、家畜エネルギーに始まって、風力、水力、物質の位置のエネルギーへと、新しいエネルギーの利用形態が広がり始めた。
それは道具に金属加工品を用い、精錬や鍛造技術の進歩の中から鉄器の使用が始まり、新しいエネルギーの利用形態が広がり始めた、その同時期に重層的に盛んになった。鉄製の鋤、鍬が用いられるようになって、単純農耕作業が発展した。
先史時代からエジプトでは毎年洪水を起こす「ナイル川の力」を利用して、灌漑水路を築いて溢れた水を盆地に導くことで灌漑用水を確保する方法を学んでいった。しっかりとした共同体が、エジプト特有の洪水を利用して、灌漑農業を始めた。メソポタミアのシュメール人もチグリス川とユーフラテス川について同様の利用方法を学んで灌漑農業を行った。本格的な農業社会の始まりである。灌漑テクノロジーは、紀元前6000年紀の頃から行われていたらしい。いずれも、河川の氾濫への対応が紀元であったが、導水路や溜池の構築、大規模貯水池の建設などを行い、都市国家を築いて行った。
古代ローマでは、むしろ豊富な奴隷労働力が活用されたが、水車が活用されるようになったのは、中世の南ヨーロッパが始まりというのが定説である。
技術史の本を見ると、車輪の発明が画期的なこととして記述されている。テクノロジー要素としての車輪の出現は大事件であるが、当時のテクノロジスト達の狙いは、運搬手段としての車輛の開発にあったのだと思う。人口が少なく、運搬の労働力が不足していた時代に家畜動力をうまく使うニーズは非常に大きかった。オリエントでは、駱駝やオナガーの背に載せて運搬したのが家畜エネルギー利用の始まりであったのが、紀元前5000年紀には、メソポタミアに荷車や戦車が出現していた痕跡がある。灌漑農業の始まりと時期は一致する。
車輪は、原始的な轆轤から進化したという説が有力であるが、絵画や土器の図柄に見られる車輪は、板を丸く加工し組立てたものであったが、ポーランド南部で出土した土器の図柄には、最古(紀元前3500年頃)の4輪/2軸の車輛が描かれているという。紀元前2500年頃のシュメール時代の絵画には、オナガーに曵かせた4輪/2軸の戦車が多数見られる。4輪/2軸の車輛を釣り合いのとれたかたちで牽引させるテクノロジーはかなりの進化形なのである。トウインという、現代の自動車にも必ず装着されている技術がなければ、4輪/2軸の車輛は安定した走行ができない。この時代には、進化した共同体が形成され、車大工のような専門職人が育っていたことを意味するものと考えられる。 車輛は、人類最初のハイテクノロジーによって組立てられた機械・運搬機械であった。4輪/2軸以前には、2輪1軸の車輛があったはずであるが、その出現時期はさだかではないが、新石器時代に単純農耕が始まって以来約14万年後の金属器の時代に入ってようやく車輪がある時代に入ったのである。
車輪は、英語でwheelとよばれ、一般にリム、スポーク、ハブ、軸受けなどによって構成されたものをいう。紀元1500?1000年頃のものとされる、ほぼ完璧なスポーク式の車輪が、イランの国立博物館に保存展示されている。しかし、車輪の発明は、スポーク式の車輪にもあるが、むしろ回転機械要素のプロトテクノロジー出現という重大な意義があったということが、技術史を振り返るといえる。それは、知識の使い方の進化にあった。この知識の使い方の進化こそが、テクノロジーを知的エネルギーとして活用する、第2文明のパラダイムへの進化であったといえる。
労働力不足の社会的ニーズを、運搬・輸送手段としての車輛という幾つもの機械テクノロジー要素からなる、組立てられた装置・すなわち機械の発明が行われた。それは車大工のようなテクノロジストによって行われた。車輛の製作は、十分にきつい肉体労働であるだろうが、同時に、強度、走行安定性、精度、経済性を計算した知識労働・設計が行われた筈である。残念ながら、それらの設計図書は残っていない。知識の再利用によって生産性を高める設計図を、保存性の高い媒体に記すのは、ずっと後世になってからのことである。
全てのテクノロジーは、エネルギー変換手段、エネルギー発生手段を社会の中心的課題として担わせられて来た。第2文明のパラダイムとは、そのことが明確に意識されることによって形成され、進化する社会の到来を意味する。第2文明のパラダイムでは、運搬・輸送手段としての帆船の出現がある。風力エネルギーを利用し、大量輸送を可能にする運搬手段の発明であった。
エネルギー変換・動力エネルギー発生手段において、大きな革新が行われ、それが産業革命の一翼を担い、第3文明のパラダイムの門を開いた。一般論として、産業革命の契機としてジェームス・ワットの蒸気機関の実用化(1859)があげられる。私も、ワットの功績を過小評価する意図は毛頭ないが、労働力エネルギーの革新・向上を狙った動力エネルギーの開発は、同時期のヨーロッパ随所で行われていたし、内燃機関の開発を志すものもいた。熱力学の研究は遅れていた。それにもかかわらず、気体の膨張や爆発が大きな力をもっていることは知られていた。鉱山の多くは、蒸気機関を使って、揚水・汲み出しをしたり、石炭を運んでいた(1712)。ワットの蒸気機関は、往復運動を回転運動に変換し、復水器による蒸気圧低下の防止、ガバナーやフライホイールによる回転の安定化が行っている。これは、知識の利用の仕方が変わったことを意味する。第3文明のパラダイムと第2文明のパラダイムの大きな違いは知識の利用の仕方の差異にある。そのため第3文明のパラダイムを推進するテクノロジーは、知識の利用の仕方を変革するテクノロジーにある。