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≪ビジネス/ものづくりお役立ち市場 マガジン  vol. 008 ≫


7 先行リサーチシナリオ目的律と因果律

      7.1.目的律の世界(第32回) 2017年号

キャリア・コンサルタント協同組合 風 巻  融

「全ての出来事には原因がある」という原理的な考え方を因果性(因果律)という。また、「原因と結果の関係性」の意味も因果性と呼ばれる。英語でも、どちらもcausalityと呼ばれている。

古代ギリシャ以来、人々は、自然にも社会にも、その内部に変化する能力が秘められていて、その力(要因、原因)が変化という結果をもたらすと信じて来た。とくに西欧では、産業革命以後の広い意味でのモダン(近代合理主義)の世界で、人々は因果律を信じて、資本主義の原理に基づく文明を進化させて来た筈であった。しかし、いつの間にか一見モダンでありながら、じつはそうではない新しい時代への移行が始まっていた。SFアニメで言うところのワープのごとく、新しい世界観の中へ滑り込んだ。その過程で、因果律は多様化し、複雑化され、歪曲され、昔ながらの因果律に従っていると信じているにも拘らず、いうなれば「目的律」の世界の中にひきずりこまれていた。

 

日本では、近代合理主義以前から、仏教の「因果応報」の教えが人々の経験則の世界観を縛っていたので、モダンの因果律には、はじめからバイアスが懸かっていて、歪曲が容易であったとしてもおかしくない。しかし、これはマイナーの歪みであった。

  

人々が近代合理主義の原点と考えるデカルトも、古典物理学の原点とされるニュートンも、「自然にも社会にも、その内部に変化する能力が秘められている」とする世界観を否定し、「自然は死んでおり、変化は外部から加えられる力(神の力)によって起こる」としてしまった。その後の学者達の解釈によると、二人とも体制側の人間であったため、教会との摩擦を避けたかったとされている。

にもかかわらず、物理学の世界で相対論や量子論のような現代物理学が拓けて来たとき、因果律や「部分と総体」の問題は、大きな飛躍を強いられた。この350年間、西欧的世界はモダンと呼ばれる時代、私が第3文明のパラダイムと呼ぶ時代を生きて来た。数百ページを費やして、今までとは違うテクノロジー開発の歴史を書くことができる。きっと面白い読み物が書ける筈である。科学についての面白い読み物は、すでにあった。父の書斎に会った「萬有科学大系」(全4巻)。

  

1940年(昭和15年)、小学1年生の私の心をとらえて夢中にさせた本は、たしか、@天文/気象、A物理/化学、B機械/船/航空機/自動車、C生物の進化/人体/医学のA4サイズ位、厚さ4~5cm、4卷構成の百科図鑑であった。今振り返って見ると、「科学の中に技術がある」とする当時の世界観で編集されていたように思う。実体はテクノロジー写真集/図鑑であった。もちろん大人のための本であり、そのリアリティは本物だった。 

  

西欧的モダンは、科学(サイエンス)が上位にあり、テクノロジーとは、「客観的に存在する自然法則の知識を、何らかの実用目的に意識的に適用すること」であって、新知識(発見)が実用化(発明)に先行するとする世界観の上に成り立っていた。デカルトは、モダンの、世界の本質とその秩序の公理を定めたとされる。デカルトの正統な継承者を自認するフランス学士院は、「科学とは因果性についての知識である」という定義までしてしまった。そして因果性を、部分と全体との因果関係にまで拡大して、「全体は部分によって規定される」とした。しかし現実は、そのような因果性で成り立っていないことを、たちまち暴露してしまった。

  

 

テクノロジーの革新的な開発は、必ず量産に関わるものであった。人類は、自らの生存の目的のために人口を増加させた。食料を確保する目的のために、最初のテクノロジーとして採集狩猟経済の時期より、はやくも道具の使用が始まった。第1文明のパラダイムのなかで、今日テクノロジーとしてもてはやされているほとんどのものの原型が現れている。プロトテクノロジーのパラダイムとよばれるべきで、繰り返し製作されているが誰が作ったかの記録は無い。道具としての原始共同体が現れ、農耕/植物栽培が現れた考古学的証拠が見られる。第2文明のパラダイムは、栽培農業と灌漑テクノロジーが結合して農業革命が興ったことによって始まった。共同体のなかで消費しきれない農産物の量産が富として蓄積され、共同体に富を護る能力が求められ、共同体起源の国家の形成が行われた。

  

道具の開発は、ハードウェアテクノロジーに限らず、再利用可能な設計図・コンセプト・知識・ソフトテクノロジーも文明進化の道具として活用されるようになる。第3文明のパラダイムは、農業以外の(実は農業も新しくindustryの一部に組み込まれつつある)全ての産業における量産テクノロジーの開発にかかわるテクノロジー開発を基軸に形成されるようになった。産業革命とは、産業の一部(部分であり総体でもある)の新しい量産テクノロジー確立を志向する目的律の体系化の始まりだったのである。グーテンベルクの印刷術は、知識の再利用の量産化を目的としたプロトテクノロジーであった。今日、そのプロトテクノロジーは、CADやAIによる設計・知識の体系的再利用の目的のためにさらなるテクノロジー開発が行われている。ワットの蒸気機関は、強力で安定した産業動力を供給することを目的に開発された革命的なプロトテクノロジーであった。その後、一つはレシプローカルな動作をする内燃機関(ディーゼルエンジン、ガソリンエンジン)開発の引き金となり、自動車産業を産み出した。もうひとつは、直接回転動作によって動力を得ることを目的とした蒸気タービン/ガスタービンの開発をうながし、大型発電機を駆動し、電気事業の隆盛をもたらした。これらの革新的な動力装置が産み出した電気エネルギー供給システムと、移動/運搬手段としての輸送用機器と輸送産業システムなどが齎した富の大きさは測り知れない。さらにいくつかの忘れてはならない産業革命の原動力となったテクノロジーがある。一つは、何億トンもの粗鋼を連続生産できる高炉の発明、二つは原油から有用な商品であるナフサ、ガソリン、ケロシン、軽油、重油、潤滑油などを分離し蒸留して連続生産できる分溜装置(潤滑油は重油からの別プロセス)の発明、三つは安定で美しい発色を得られる人工の化学的な合成染料の発明であった。ここで重要なことは、どれ一つをとっても、テクノロジー開発は、全体としての目的(結果)が明確に先行して考案され、全体の仕様が目標として定められ、そのためにどういう部分の要素テクノロジー(原因)が必要かを追求する。テクノロジスト達にとって、要素テクノロジーは自分の得意とする秘伝の技能であることが多い。しかし新しい目的は、秘伝の技能であっても、それ等の寄せ集めでは実現できない。何よりも要素テクノロジー(部分)の新しい目的にあわせた体系化が必要になり、既存の要素テクノロジーでは不足、欠落しているときは、新しい要素テクノロジーを急遽開発せねばならない。因果律とは全く逆の目的律のアプローチが必要になる。振り返って見れば、テクノロジー開発は、原始のプロトテクノロジーの時代から目的律の世界のものであった。ワットは、回転を安定化するためにフライホイールをつけ、蒸気発生機の気圧が上がり過ぎないように安全弁をつけた。ワットの成功の大きな要因は、無負荷から全負荷へ、全負荷から負荷減少へと、運転時に生ずる負荷の変動に対応して平衡状態を保つ目的で、シリンダーに注入される蒸気の量を、回転速度に応じて変化させるガバナーを付けたことにある。機械的サーボの嚆矢となるものである。

  

17世紀、時計と航海と科学革命の時代と言われた当時、西欧の人々の経験則は、教会の教義とスコラ哲学によって歪曲され、モダンの原点といわれるデカルトやニュートンも妥協した。フランス学士院はデカルトを踏襲し、英国王立協会会長(1703~1727)を務め、デカルトを尊敬していたというから当然ながら、「自然は死んでおり、変化は外部から加えられる力(神の力)によって起こる」とする自然哲学が西欧に跋扈した。その結果、現実にテクノロジー開発が産業社会を変革しているにも関わらず、「自然法則の科学的知識を、何らかの実用目的に意識的・工学的に適用するのがテクノロジー」であって、テクノロジー開発が目的律に動機づけられていることは否定されて来た。

  

さらに、これは科学が進歩することによってテクノロジーが進化するとする哲学が固定化される結果を招いている。いい換えると、科学が進歩しないとテクノロジーは進化できないという歪んだ因果律の世界観である。21世紀にもなって、70億人に達した人類の大半の人々は、未だにデカルトのモダンの世界観の中にいる。とくに各国の政策立案者(政治家と官僚)や法律家達はひどい有様だ。かれらの中に、第一級のテクノロジスト出身者がいないからだろう。このことは、非常に深刻な歪みを、歴史的にも、世界的にも残してしまっている。人類は、1万年も前から、テクノロジー開発によって文明を形成して来た。栽培農業テクノロジーと灌漑テクノロジーを結合させて農業革命を興して以来、学問的・理論的に体系化された科学的知識(know what)がなくても、新しいテクノロジーを次から次へと産み出して来た。科学的知識は、むしろテクノロジーの後から、欠落していた知識として発見されて来たのではないか。そうでなかった事例も沢山ある。しかしテクノロジー開発によって既存の秘伝のテクノロジー要素が再組織され、あたらしい体系化が行われた結果、どういう知識が欠落していたかが明らかになることだけは真実である。

次回は、目的律で何をやらねばならないかを考えたい。

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      7.2.目的律の世界 (2017年第33回)

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 現代は『資本主義の終わりの始まり』の時代であるとする危機的現状認識が、はっきりと現れ始めている。水野和夫の『閉じ行く帝国と逆説の21世紀経済』(2017)『株式会社の終焉』(2016)『資本主義の終焉と歴史の危機』(2014)等。これらはベストセラーにもなっているが、同種の本はAMAZONで見ると2010年以降に出たものだけで50冊を超えている。欧米などで書かれたものを加えると150冊に及ぶのではないか。水野和夫は、三菱UFJモルガンスタンレー証券チーフエコノミスト、民主党政権の内閣府大臣官房審議官などを務め、榊原英資との共著『資本主義の終焉、その先の世界』や『国貧論』などを含め、マクロ経済、国際金融の専門家である。

  

 この種の終末意識は、なにも昨日今日始まったことではない。しかし、本来、資本主義の原理を美化し、神格化して来た体制側のエコノミストの混乱を露にしていることに注目すべきであろう。この種の危機意識の潜在的出発点は、計算機械や通信機械のための電子デバイスとしてトランジスタ(1948)の発明と集積回路(1960)の発明によって技術革新の競争に火がついたことと、当時の安全保障環境(東西冷戦)によるものであったといえる。

  

 テクノロジーとビジネスと法律と政治の四極を巡って、世界は複雑な動きを顕在化した。

1960年から2010年までの50年間に、特許出願件数は指数関数的に増加した。これは、基本的にテクノロジーイノベーション(技術革新)が極めて活発に行われた結果である。しかし、集積回路の特許は、係争を棚上げのまま、米国十数社にライセンスされ、その産品は、1960年末まで全量をアポロ計画とミニットマンミサイル配備のために用立てられた。集積回路の特許は、ノイスのプラナー特許(フェアチャイルドセミコンダクターズ1959年7月出願)、キルビーのコンセプト特許(テキサスインスツルメンツ1959年2月出願)とも1966年に係争は決着した。集積回路製品としては、テキサスインスツルメンツのTTL(Transistor-Transistor-Logic)によるSN7400シリーズが、ビジネス上の成功を治めていた。TI社(Texas Instruments Inc.)は、人工地震波による石油探査用計測センサーと計測機器をつくる、小さな優良会社であったが、日本のソニーと同時期、ベル研究所が発明したトランジスタ特許のライセンスを受けて、早くから半導体デバイスの開発・生産に着手していた。米国全体では十数社によって、大量のトランジスタが生産されたが、現在でも半導体メーカーとして生残っているのはTI社のみである。

 TI社をはじめ各社のテクノロジー開発における目的律の理念を誤った企業は、ビジネスの世界から退場して行った。じつは、目的律によって先端テクノロジーが開発されるようになったのは、二つの大戦の時期であった。第一次大戦時には、正面装備としての航空機、潜水艦、戦車や確率兵器と呼ばれる重火器などの急ピッチの開発が行われた。第二次大戦時に、目的律が最もドラスティックに現れたのが、原子爆弾の開発である。戦時においては戦争に勝つという目的が最優先課題になるため、テクノロジー開発への政治の介入が当然のこととして行われ、目的律の指導理念になってしまう。しかし軍事への財政投入は、¥1.の富も産み出さない。破壊力を蓄積しているだけである。そうこうしている間に、核保有国が持つ原爆の総数は15,000発にもなるという。GDPの35%にも昇る軍事費を何年にもわたって続けて来たソ連は、経済の破綻から国家の崩壊に至った。  富の生産を伴わない目的律は、経済の原理を破壊することを学習すべきであった。目的律の正しい指導理念は未だ確立していない。「ケ小平の黒い猫」が世界に跋扈し、金融市場が巨大化する中で、エンロン(CO2排出権取引に絡む不正)やリーマンブラザーズ(金融債権の詐欺的債券化)が売り出した噴飯ものの金融商品が破綻して、世界中が大きな損失を被った。

 これ等に対して、半導体とコンピュータに対する潜在需要と高集積化ニーズには、非常に強い危機感が、ビジネスと政府の共有するものとしてあり、テクノロジーセクターに圧力がかかっていた。朝鮮戦争と東西冷戦環境下で、電子機器の高信頼度化と高集積度化は喫緊の課題であった。さきに、1960年末までに生産されたICの全量をアポロ計画とミニットマンミサイル配備のために用立てられたと書いた。そうすると、アポロ宇宙船やICBMの軌道計算を想像しがちであるが、事実これらの計算には、三重系のシステムが用いられていたから、一つの指令センター毎に、24時間常時、4台の超大型コンピュータが運用態勢にあって、ケネディセンターやマウントシャイアンのセンター以外にもアラスカ、カナダ、カリフォーニアのレーダーサイトがあり、これだけでも大量のICが必要になる。国防総省の真の関心は、プロジェクトやロジスティクスのマネジメントのためのコンピュータをいかに確保するかにあった。特許係争は法律家どもに任せて、特許料の精算は決着がついてから精算するというビジネスデシジョンをして、国防優先でとにかく国防プロジェクト用のICを供給しなさいという政治的圧力によって決着への道が拓けた。日本へのライセンス供与は1966年を過ぎてからようやく理不尽な条件がなくなり、ビジネスベースによることが可能になった。

  

 しかし日本の半導体業界は、さらに日本の産業界は、この時をもって、テクノロジーとビジネスと法律と政府(通商産業省/当時)の四極を巡る日米競争に巻き込まれて行く。

  

 一方で、19世紀中半から20世紀前半にかけて、日本は、産業革命の遅れを取り返す産業立国にあたって、欧米が、そろそろ自身の失敗を修正しようとし始めた植民地主義政策を誤って手本にしてしまった。その中で、テクノロジー開発の目的律の理念も健全には育たなかったことは明らかである。航空母艦を後回しにして、大艦巨砲主義と揶揄された「大和」、「武蔵」を作らせたこと、航空戦力の強化、重装備化が後手にまわった。米国が、早くからスーパーチャージャー付きのエンジンを実用化していたのに対して、日本では、そのアイデアは、燃料の無駄として顧みられなかった。内燃機関の性能(出力)は、単位時間当り、より大量の燃料を燃やすことによって得られる。とくに1万メートルもの成層圏で高出力を得るには、酸素濃度を高める目的で必須のスーパーチャージャーを無視していた。

  

 20世紀中半以降、もしくは第2次大戦後の復興過程で、第2次大戦終結のためにとられた、戦勝国間の国際政治力学と、その結果導き出された地政学的リスクを過小に見積もった便宜的な処理のまずさによって、東西冷戦を招き、その大きな対立図式の下で、多くのやっかいな地域紛争が一気に火を噴いた。中東では、イスラエルの建国を巡って中東戦争が興り、これを端緒として、21世紀においても最大の不安定要因となっている。中国は内戦状態となり、あっけなく1949年に中華人民共和国が成立した。そういう国際環境の中で、朝鮮戦争がおきて、経済復興の面では日本は、他国の不幸の引き換えに僥倖に恵まれたが、その中で、産業廃棄物の無分別な排出・投棄で、1950年代にはいると、大気汚染、河川や海洋汚染の被害が生じた。はじめは水俣の有機水銀の垂れ流しが目立ち、チッソだけが槍玉にあがっていたが、気が憑いてみると、全国津々浦々に環境汚染が広がっていて、公害列島などと言うことばすら生まれた。  いま、われわれは、「ケ小平の白い猫と黒い猫」を誤解していたことに気が着き始めている。ケ小平の意図とは別に、中国では黒い猫が跋扈しているように見え、かつてソ連がGDP比35%の軍事費で、経済を自己破壊させた道を進んでいるようにすら見える。

 私は、『資本主義の終わりの始まり』という危機感ではなく、『テクノロジーと産業と法律と政治の四極』における目的律のアンバランスが心配である。

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       76.3.目的律の世界2017年第34回)

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  『資本主義の終わりの始まり』の時代であるとする危機意識があることにふれた。その潜在的出発点は、原爆テクノロジーと、計算機械や通信機械のための電子デバイスとしてのトランジスタ(1948)の発明および集積回路(1960)の発明によって技術革新の競争に火がついたことと、第2次大戦後(1945年以降)の安全保障環境の変化(東西冷戦)によるものであった。知らず知らずの間に、時代は目的律に移行していた。

  

 目的律の指導理念がないまま、テクノロジーもビジネスも法律も政治も、自らに都合の良い指導理念を創ろうとしていた。精密な論証は別の機会にゆずるとして、目的律へのパラダイムシフトが、雪崩のように始まったのは、1947年に始動した「マーシャルプラン」によるものであった。われわれ日本人は、「ポツダム協定/ポツダム宣言」も知らされないまま受諾したくらいであるから、遠い欧州でのできごとに対する関心も低く、「マーシャルプラン」に対する正確な認識もないまま、高校の世界史教科書にも正確な記述も無く、とくに、近現代史は高校3年の時間切れで教えられることも無いまま過ごしてしまい、第2次大戦後の20世紀後半を通じて形成された第4文明のパラダイムへの胎動が、この「マーシャルプラン」によって始動したことを忘れさせている。

  

         「マーシャルプラン」というのは通称であり、第2次大戦によって被災した欧州の復興援助計画のことである。実質的な東西冷戦は、ドイツ降伏(1945年5月8日)に先立つヤルタ会談(1945年2月)とともに始まっていた。戦後の米国の最大関心事は、ブレトンウッッズ協定(1944年7月締結)によって、基軸通貨米国ドルの権威(1オンス=US$35.00の金兌換)を維持することにあった。ドルと各国通貨との交換比率を一定に保つことによって、自由貿易を発展させ、世界経済を安定させる仕組みが実現すると考えられていた。(この体制は、経済の安定よりも西側の経済の高成長をもたらし、経済、財政、貿易の規模が著しく増大し、米国の金産出・保有量が対応しきれなくなり、1971年8月15日、ニクソン大統領によって金兌換停止が行われるまで続いた)。

ドイツは降伏し、極東でも「大日本帝国」は降伏したが,中国では国共内戦が興り、ギリシャでは内戦が興り、ソ連はトルコのボスポラス・ダーダネルス海峡の自由通行権を要求し、ドイツ、ポーランドの分割、チェコやハンガリーやバルト3国への覇権を要求するなど、ヨーロッパの分割と自らの覇権の拡張に、対独戦争での占領地域で事を構える戦略を強めていたため、外交課題は山積していた。なかでも最大の外交課題は欧州の復興に、米国がいかに関わるかにあった。東西冷戦はすでに始まっており、ヨーロッパの東西分断の危機は目前にあった。米国務省は、パクスアメリカーナの路線をとらざるを得ない事ははっきりしていたが、後世のヨーロッパ諸国民から、アメリカのおかげでヨーロッパは東西に分断されたと、恨み言をいわれるようにはなりたくないという点で結束していたようにみえる。

  

 冷戦の最中にあっても、6年にも及ぶ対枢軸国との戦争に勝利はしたが、いずれも米国外の戦闘で大勢の若者を死に追いやる苦悩を味わったアメリカの将軍達(ジョージ・マーシャル、ドワイト・アイゼンハウアーなど)には、たとえ小規模の紛争でも自国民の犠牲が生ずることは避けたいという意志が、政治家以上に強く働いていたのは、本当の事だったと思う。

 そのさなかにトルーマン特別教書(1947年3月12日)が議会に送られ、ギリシャとトルコに軍事/経済援助を行うことの承認を求めるものであった。「もしギリシャとトルコが必要とする援助を受けなければヨーロッパの各地で共産主義のドミノ現象が起こるだろう」と主張した。トルーマン大統領による「共産主義封じ込め政策」宣言と内外から受け止められ、「共産主義封じ込め政策に同調しなければ、アメリカから援助が受けられない」という誤解が広まった。国務省はおおいに困惑した。事実、フランス、イタリアでは共産党が第一党を占めており、ドイツは米英仏ソの四ヶ国に分割占領状態にあって、報復主義的賠償請求の獲食にされようとしていた。米国内においても、戦後の復興計画の無い事を含め、国務省は、ドルとアメリカ経済の戦時経済から離脱・繁栄におおいなる危機意識をもっていた。

そういう内外の情勢をふまえて、以前よりハーバード大学から申し出のあった、同大学の200周年に事業として、国務長官ジョージ・マーシャルに名誉法学博士の学位授与したいという提案を授け、その記念講演において、欧州復興援助プランがあることを公にするとともに、欧州復興援助の公式の理念をかかげ、プランの国論統一を狙った格調高い内容を示すことにした。

  

マーシャル演説(1947年6月5日)は「米国の政策は、特定の国家や主義に対してではなく、飢餓、貧困、絶望、混乱に対して向けられている。その目的は、自由な制度が存在し得る政治的、社会的な諸条件の出現を許容するような、活発な経済を世界に復活させることである」。

「いかなる政府も、この復興事業に協力する気があるならば、米国政府の全面的な協力が得られることを保証しよう。いかなる政府も、他国の復興を妨害しようと画策するならば、我々の援助は期待できない」とし、「米国は欧州復興のために可能な限りの支援をするが、計画の立案は欧州自身が率先して行うべきである。」また、「計画は、欧州の全国家とは言わないまでも、相当数の国家の賛同を得た共同の計画でなければならない」とし 欧州の自主性を尊重しながらも動向を注意深く観察するといった内容が示された。

今日読み返して見ると、目的律の理念による、東西冷戦という安全保障環境の中で、戦勝国の利権を護るために力づくで構成されて来た大きな政治の図式が見えてくる。テクノロジーとビジネス開発、それに付随する時代遅れになりつつあった法理念、の四極を巡って、目的律のカオスが生まれた。民主主義と地政学的リスク(地域・民族・宗教・文化的蓄積などの複雑な対立要因)は、政治によって都合良く歪曲され、無視された。国務省にとって、戦争で破壊されたとはいえ、ドイツの潜在的工業力と石炭産出能力を活用することは、西欧復興には欠かせないものであった。

  

第2次大戦以前の欧州への輸出高は、米国の総輸出高の40%を超えていた。欧州の被災によって生じたドル不足による欧州への輸出が失われることは、米国経済にとっても由々しき問題になる。そこで、欧州が必要とする食料や衣料の供給力のある国は米国だけであるから、ドル援助を行う見返りとして同額の内国通貨を積み立てさせ、関税の大幅切り下げ行わせるとともに、ドルは米国産品のみを買わせる仕組みをつくった。経済統計を整備し、ITO(今日のWTOの前身)に報告し、その額を基準に援助額を決めた。これ(GDPの報告)こそソ連が一番嫌うことで、東欧圏諸国にも援助を拒絶させたため、欧州分断の責任はソ連が負うことになった。そうなれば、マーシャルプランは大成功である。保守正統派は、戦後米国で最も成功した政策と位置づける。

  

 そうこうする中、1950年6月に始まった朝鮮戦争によって様相は一変する。経済援助は打ち切られ、MSA(1951年Mutual Security Act:相互安全保障法)による軍事経済援助に一元化した。マーシャルプランに言及したため、その解説に紙数が占められてしまった。

  

        1980年、「ケ小平の白い猫と黒い猫」「改革開放路線(経済)」「先富論」(我々の政策は、先に豊かになれる者たちを富ませ、落伍した者たちを助けること、富裕層が貧困層を援助することを一つの義務にすることである。)によって世界は大きな誤解をした。ケ小平が何を目的にしていたのかは不明であるが、誤解していたことに気が着き始めている。

これは、マーシャルプランと逆のかたちの目的律の読み違いである。

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      7.4.第 4文明のパラダイム の始まり (2017年第35回)

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先号にふれた通り、トルーマン特別教書(1947年3月12日)が議会に送られて、英国からの援助を打ち切られたギリシャとトルコに、軍事/経済援助を行うことの承認を求めるものであった。「もしギリシャとトルコが必要とする援助を受けなければヨーロッパの各地で共産主義のドミノ現象が起こるだろう」と主張した。トルーマン大統領による「共産主義封じ込め政策」宣言と内外から受け止められ、「共産主義封じ込め政策に同調しなければ、アメリカから援助が受けられない」という誤解が広まった。

独ソ不可侵条約によって、ヨーロッパに戦乱を起こしたナチスドイツの片棒を担いだスターリンのロシアを許す国はどこにも無かった。ドイツ侵攻のおかげで、図らずもソ連占領地区になってしまった東欧諸国は、西側陣営につきたいと願っていた。

  

当時のアメリカ国務省は、スターリンに強い不信を抱き、東西分断は避けられないと判断しつつも、分断の線引きをアメリカがやったことになれば、今後何世紀にわたってヨーロッパ諸国民の恨みを買うことになるという判断でまとまっていた。戦略家将軍として、ルーズベルト大統領の信認が厚かったジョージ・マーシャルは、1947年1月にトルーマンによって国務長官に任命されると、最初にやったのは、三省(国務省、陸軍省、海軍省首脳)会議の創設であった。今日のNSC(国家安全保障会議)の最初の形態であった。

「共産主義封じ込め」「東西冷戦」戦略の司令部の設置であり、国際政治が明確に目的律による第一歩を踏み出したと見るべきである。ヨーロッパ諸国のみで構成された欧州経済協力機構をつくらせ、この機構の申請ベースで援助を行うと言う構図で、1948年対外援助法を制定、米企業に巨大なヨーロッパ市場を提供した。東西冷戦が激化し、目的律を寄り明確にした、1951年MSAに切り替わった。

  

1949年、ソ連は原爆実験を行った。米国の独占的テクノロジーではなくなった。朝鮮戦争当時、電子機器は半導体化されておらず、重要な電子機器(レーダー、通信機器、敵味方識別装置など)の50%が常時正常に作動していなかったことが判明した。政府(米軍)は異例の「品質保証要求」(Quality Assurance Request)を出し、政府調達を巡ってハイテクベンチャ企業の創業による最初のシリコンバーレイバブルが興った。(この時期、ショックレイトランジスタなど数多くの半導体メーカーが創業したため、シリコンバーレイの名がついたが、実際に半導体バブルが興ったのは第2期バブルのことである)。

  

1957年10月、ソ連はスプートニクを打ち上げた。ロケットの技術で、ソ連に遅れをとっていることが判明した。アポロ計画が実施されるとともに、あらゆるテクノロジーで米国の優位を確立することを目的とした科学技術開発推進政策がとられ、HiTechnoloy(ハイテク)などという言葉がうまれた。米国の研究開発補助金の交付は、生物・生命・医療・健康系は、NIH(National Institute of Health)に、非生物系はNSF(National Science Foundation)に、国防に関するものはDARPA(Defense Advanced Research Project Agency)に三元化され、企業も、大学も、研究機関も、同列、平等に扱われる。

大学や研究機関の研究開発費は、全て外部からの委託資金で賄われる。外部からの課題を伴う研究委託の依頼のない教授はたちまち失職である。基礎的な研究であれ、目標課題の明確なものであれ、年間で500万ドル程度以上の委託研究費を集められないと教授職は務められない。一方で、開発成果の実施にあたっては、委託企業の占有実施権は6ヶ月から1年程度と、一見短い。

  

テクノロジー開発の成果は、大学毎に設けられているTLO(Technology Licensing Orga=nization)によって実施の推進管理が行われる。こうして、先進テクノロジー開発は、目的律をもってマネジメントされるようになった。テクノロジーと密接な関係のあるビジネスと経済においても目的律は大事な指導理念、価値観の核心となった。

  

目的律が価値観の核心になることによってテクノロジーとビジネスと法律と政治の四極がバランス良く動いてくれればよいのだが、人類は再三にわたって、大きな失敗を繰り返し、困難に直面している。

その最大の失敗は、地球温暖化と気候変動の問題であり、つぎに金融市場の巨大化、雇用問題と少子化と貧富格差の問題であろう。 無秩序な産業活動の活発化が、いろんな環境破壊を惹き起すことに、かなり以前から気が憑いていた。19世紀末には、「霧のロンドン」という言葉があった。煤煙臭い霧に人々は悩まされていたが、ちょっと過激な風物詩として扱われていた。

しかし、1950年代には有害物質を含む廃棄物・排煙が社会問題になりはじめた。私がロスアンジュレスを訪れた1964年には、自動車の排気ガスが極めて深刻な問題となっていた。

  

よく観察分析すれば直ぐに解ることは、エネルギーの大量使用、消費が行われていることであった。電気エネルギーが大量に使われている他、この電気エネルギーを発生するためには、別のエネルギー資源が大量に使われていた。省エネとか持続可能な発展とか、目的律に即した提案も数多くあるが、パリ協定からの離脱を宣言する大統領が現れた。

  

私は環境問題こそ、第4文明パラダイムにおけるイノベーションの中心課題だと思う。

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